元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん。
この記事では、渡邊渚さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
渡邊渚のwikiプロフィール
本名:渡邊 渚(わたなべ・なぎさ)
生年月日:1997年4月13日
出身地:新潟県阿賀野市
身長:165cm
血液型:O型
趣味:あんみつ巡り
渡邊渚の学歴(高校・大学)
渡邊渚さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 出身大学:慶應義塾大学 経済学部
- 出身高校:慶應義塾女子高等学校
- 出身中学校:横浜市立平戸中学校
- 出身小学校:神奈川県内?
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
出身大学は「慶應義塾大学 経済学部」
- 慶應義塾大学 経済学部(三田キャンパス)
- 東京都港区三田2丁目15-45
- 偏差値:67.5~70.0
慶應義塾大学は日本を代表する私立大学の一つで、特に経済学部は長い歴史と高い評価を持っています。
小泉純一郎(元内閣総理大臣)
孫正義(ソフトバンクグループ創業者)
藤田晋(サイバーエージェント社長)
渡邊さんは慶應義塾大学経済学部を卒業されたことを公表されています。
ミス慶應コンテストへの挑戦
渡邊さんは大学1年生のとき、「ミス慶應コンテスト2016」にエントリーし、ファイナリストに選ばれました。
応募のきっかけは、推薦されたからで、
「昔からあこがれていたこともあって、お話をいただいたときはとてもうれしかったです」
と語っています。
しかし、
運営団体の未成年者の飲酒をあおるなどの不祥事によりコンテストは中止
となり、渡邊さんは
と心境を明かしていました。
1人で海外旅行に出かけていた
「面白そうなことには迷わず挑戦してみる」がモットーだという渡邊さん。
大学4年生の頃、イギリスで行われるイベントの手伝いをしないかと誘われて、
「これは2度とないチャンスだ!」
と思い参加したそうです。
その時、
エリザベス女王を近くで見られたことが、とても良い思い出となっている
といいます。
渡邊さんは、実は英語がまったく話せないそうですが、
伝えたいと思えば言語はいらない!のだそうで、
1人でも躊躇なく海外旅行に行くことが出来た
ようです。
好奇心と行動力がすごいですね!
あんみつが大好きすぎて一人で食べ歩いていた
あんみつが大好きで、学生時代には
日本一美味しいあんみつを求めて国内旅行をしたり、
あんみつ専用のSNSを作ったりしていた
という渡邊渚さん。
1駅ごとに1杯のあんみつを食べないと先に進めないという
クセ強すぎるゲームを生み出して、1人で楽しんでいたそうです。
大好きなものにまっしぐらで、充実した時間を過ごしていたんですね。
生島企画室に所属してタレント活動をしていた
大学在学中、渡邊さんは
フリーアナウンサーの生島ヒロシさんが代表を務める芸能事務所「生島企画室」に所属
して、タレント活動を行っていました。
この経験を通じて、メディア業界での経験を積み、将来のキャリアに対する視野を広げていったのだとか。
アナウンススクールへの通い経験を培った
叔母がアナウンサーで、小さい頃から憧れだったことから、
将来のアナウンサー志望を明確にしていた渡邊さんは、
大学在学中にフジテレビとTBSのアナウンススクールに通っていました。
この経験が、後のフジテレビ入社につながったのかもしれません。
出身高校は「慶應義塾女子高等学校」
- 慶應義塾女子高等学校
- 東京都港区三田2丁目17-23
- 偏差値:75
慶應義塾女子高等学校は、慶應義塾が運営する唯一の女子高等学校で、高い学力と自主性を重んじる教育方針が特徴です。
大学への内部進学率が高く、多くの生徒が慶應義塾大学へ進学します。
紺野美沙子(女優)
萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)
渡邊さんは慶應義塾女子高等学校に通っていたことを公表しています。
「キャリア甲子園」に出場した
高校2年生の夏に、仲の良いお友達と
ビジネスコンテストの「キャリア甲子園」に出場しました。
何か社会に発言しようと2人で研究を重ね、
「2020年にする仕事」というテーマで準備を進めたそうです。
しかし、
本番直前に友達が留学してしまい、結局1人でスピーチを行った
のだとか。
せっかく準備したので出られなかったお友達も残念ですね。
バレーボール部に所属していた
渡邊さんは高校時代、バレーボール部に所属していました。
この経験は、後にバレーボール中継に携わる際にも役立ったようです。
2024年のパリオリンピックでは、
男子バレーボールの対イタリア戦を観戦するために渡仏した様子が
NHKの中継に映り込んで話題になりました。
出身中学校は「横浜市立平戸中学校」
- 横浜市立平戸中学校
- 神奈川県横浜市戸塚区平戸町993−4
横浜市立平戸中学校は、地域に根ざした公立中学校です。
剣道部に所属していた
渡邊さんは中学時代、
剣道部に所属し、初段を取得しています。
この経験は、彼女の特技として現在も紹介されています。
剣道を通じて培った精神力や集中力が、現在の活動にも生かされているのかもしれません。
また、成績はオール5で生徒会長だったというXの投稿もありました。
文武両道の優秀な生徒だったんですね!
マララ・ユスフザイのスピーチに感化された
渡邊渚さんは、中学3年生のときに、マララ・ユスフザイさんのスピーチを聴いて、
マスメディアの大切さに気づいたそうです。
パキスタン出身の女性人権活動家で、ノーベル平和賞を受賞しています。
世界平和と教育を受ける権利について声をあげ続けています。
渡邊さんは、
もしメディアがなかったら、マララさんのことを
私も世界の人たちも、誰も知らないままだったかもしれない…
と感じて、これを機に、
と強く思ったといいます。
出身小学校は神奈川県内?
渡邊渚さんは出身小学校を公表されていませんが、
神奈川県横浜市に住んでいたことから、横浜市内の小学校に通っていたと推測されます。
新潟県の田舎で自然に囲まれて育った
渡邊さんは新潟県阿賀野市で生まれ、小学2年生まで同市で過ごしました。
家の周囲は田んぼに囲まれ、庭にキジが訪れ、クマが現れるなど、自然豊かな環境で育ちました。
下校時には友人と田の畦道を歌いながら歩き、近くの小川でザリガニを釣るなど、
田舎暮らしを満喫していたそうですよ。
大自然の中でのびのびと育ったんですね。
しかし当時は、鼻水が止まらず目が痒くて困っていたという渡邊さん。。
なんとイネ科のアレルギーだったことに後から気がついたそうです。
日本有数の米どころである新潟では、さぞかし辛かったことでしょう…
新潟県中越地震を経験し命の大切さを認識した
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震は、渡邊さんの人生観に大きな影響を与えました。
当時、小学1年生だった彼女は、テレビから流れる地震のニュースを見て、
「今生きているということが当たり前じゃない」
ということを子どもながらに認識させられた
と語っています。
父親が単身赴任していたため、
地震を機に、渡邊さんは
と両親に伝えたそうです。
その結果、家族は新潟から愛知県名古屋市へ引っ越しすることになり、
その3年後、神奈川県横浜市に移り住みました。
シルバニアファミリーが好きで建築に興味を持った
シルバニアファミリーが大好きだったという渡邊渚さん。
たくさん並べて街を作って遊んだり、
小学生の頃には仮想の街を頭の中でイメージしながら、製図したりしていた
そうです。
高校生になると、製図だけでなく模型を作ることもあったのだとか。
大きくなっても建築への興味はなくならず、
本格的な模型のキットを買って作ったり、
建築関係の本を読んでワクワクしている
のだそうです。
普通の小学生なら、遊んで終わりなシルバニアファミリーですが、、
やはり頭の良い人の遊び方は違うんですね…!
まとめ
渡邊渚さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
学生時代の多彩な経験を通じ、自然体で柔軟な人柄が形成されたようですね。
渡邊渚さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「とても悔しい。涙が止まらない」