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部井久アダム勇樹は中央大学法学部で偏差値65!博多高校時代から国際大会で活躍!

ハンドボール選手としてご活躍されている部井久アダム勇樹さん。

この記事では、部井久アダム勇樹さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。

部井久アダム勇樹のwikiプロフィール

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)
名前部井久アダム勇樹(べいぐ・あだむ・ゆうき)
生年月日1999年4月21日
出身地福岡県福岡市
身長196cm
体重100kg
血液型B型

部井久アダム勇樹さんは、お父さんがパキスタン人、お母さんが日本人のハーフです。

部井久アダム勇樹の学歴(高校・大学)

部井久アダム勇樹さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。

  • 出身大学は「中央大学法学部」
  • 出身高校は「博多高等学校」
  • 出身中学は「福岡市立多々良中央中学校」

学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!

出身大学は「中央大学法学部」

中央大学
出典:Googleマップ
  • 中央大学 法学部
  • 〒112-0012 東京都文京区大塚1丁目4−1
  • 偏差値:60-65

法学部は中央大学の看板学部です。

3学科(法律学科・政治学科・国際企業関係法学科)を有しており、通信課程もあります。

1960年代から1970年代には最高172人の司法試験合格者数を記録しています。

オリンピックを目指し渡欧

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)

部井久アダム勇樹さんは、

子供の頃から競技を問わず、家族でスポーツ観戦をする環境だったそうです。

その為、自然と

オリンピックに出たい

という気持ちが芽生えていたと言います。

高校時代の顧問の先生に、

「オリンピックを目指すなら、大学で活動しているだけでは厳しいのでは?」

と言われた事をきっかけに、海外に行く事を意識するようになったそうです。

高校卒業後にはすぐにフランスへ行き、世界最強リーグであるフランス1部の

『セッソン・レンヌ・メトロポールHB2』

のテストを受けるため、

約3週間練習に参加し、その後契約する事になりました。

中央大学へ進学したのも、大学へ籍を置きながら海外でプレーが出来るからだそうです。

東京オリンピック出場

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)

部井久アダム勇樹さんは、2021年に夢であったオリンピック出場を果たしました。

当時フランスにいた部井久さんでしたが、

コロナ禍で代表合宿が日本国内でしか出来なくなってしまい、

オリンピック出場のチャンスを逃さないため、フランスより帰国しました。

夢に描いていたオリンピックですが、

コロナの影響で、せっかくの日本での開催であったのに、無観客となってしまい、

わかってはいても、やはり

寂しさを感じた

のだそうです。

両親にも直接試合を見てもらいたかったのに、それも叶わなかったのだとか。

夢のオリンピック出場でしたが、

思い描いていたものとは少し違い、残念に思った事も多々あったようです。

出身高校は「博多高等学校」

博多高等学校
出典:Googleマップ
  • 博多学園 博多高等学校
  • 〒813-0041 福岡県福岡市東区水谷1丁目21−1
  • 偏差値:39-50

男女共学の私立高校で、普通科のほか、

  • 商業
  • 農業
  • 工業
  • 家政
  • 看護

の5分野がある、専門学校・総合高校となっています。

日本代表に選出

部井久アダム勇樹
出典:ナンバーweb

2017年、高校三年生の時に史上初、高校生での日本代表入りを果たし、

日韓定期戦が日本代表デビューとなりました。

国際試合の経験は初めてではありませんでしたが、

たくさんの観客の中のプレーは初めてだったそうです。

しかし、そんなに緊張はしなかったといいます。

目標は1点でも取ることでしたが、

得点できず、試合後のインタビューで、

超悔しいです。もう一回やり直したいくらい悔しい。

引用:ナンバーweb

と語っていました。

忙しかった高校時代

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)

部井久アダム勇樹さんは、高校時代に多くの国際大会に出場しており、とても忙しかったそうです。

夏休みは二日くらいしか家に帰れなかったり、

日本に帰ってきたらすぐ新学期だったりと

目まぐるしい毎日だった

と語っています。

部井久さんが高校時代に出場した国際大会はこちらです。

  • U-22東アジア選手権(2016年)
  • ユースアジア選手権(2016年)
  • ユース世界選手権(2017年)
  • 日韓定期戦(2017年)
  • 第18回アジア選手権(2018年)

同時に、高校の部活動もしていたとの事で、充実した学生時代だったことがわかりますね。

出身中学校は「福岡市立多々良中央中学校」

多々良中央中学校
出典:Googleマップ
  • 福岡市立多々良中央中学校
  • 〒813-0033 福岡県福岡市東区多々良1丁目51−1

1975年4月に福岡市立多々良中学校より分離、設立された公立学校です。

部井久アダム勇樹さんが、東京オリンピック出場を決めた際には、垂れ幕で祝福していました。

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)

本格的にハンドボールを始める

出典:hummel

部井久アダム勇樹さんは、中学に入ってから本格的にハンドボールを始めたそうです。

それにもかかわらず、すぐに頭角を現し、

  • 第22回JOCジュニアオリンピックカップ優秀選手に選出
  • 第23回JOCジュニアオリンピックカップオリンピック有望選手に選出
  • 日本代表U-16に選出

と、当時から素晴らしい実績を残しています。

出身小学校は「福岡市立青葉小学校」

福岡市立青葉小学校
出典:Googleマップ
  • 福岡市立青葉小学校
  • 〒813-0025 福岡県福岡市東区青葉3丁目9−1

小学6年生でハンドボールと出会う

部井久アダム勇樹
出典:Instagram(@adamyukisssssssss)

部井久アダム勇樹さんは、小学1年生からソフトボールをやっていたそうですが、

福岡県の”タレント発掘プロジェクト”に参加したのをきっかけに、ハンドボールに触れたそうです。

タレント発掘プロジェクトとは?

福岡県内の学生対象に、身体能力の高い生徒を集めて競技適正を測り、

いろいろな競技に触れ、何を専門にするか決めるというものです。

部井久アダム勇樹さんは、30種目くらい競技をしたそうですが、

適正データでは、

7種目くらいS評価(国際大会出場レベル)があるほど優秀だった

のだとか。

ハンドボールは、実際やってみて楽しかったことと、

先生に

君ならハンドボールの日本代表になれる

と言われたことのほか、

競技人口が少ないので日本代表を狙える可能性が高い

ため、やってみようかなと思ったそうです。

夢であるオリンピック出場ができるということを軸に選んだ部分もあるんですね。

まとめ

部井久アダム勇樹さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。

福岡市立青葉小学校、福岡市立多々良中央中学校へ通い、博多高等学校へ進学しました。

高校卒業後は中央大学法学部法律学科へ進学し、卒業しています。

部井久アダム勇樹さんの今後のご活躍も楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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