政治家

下村博文は早稲田大学卒で偏差値70!高校は高崎で貧しい幼少期を過ごしていた!

自由民主党所属の衆議院議員としてご活躍されている下村博文さん。

この記事では、下村博文さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。

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下村博文のwikiプロフィール

下村博文
出典:Instagram(@hakubun_shimomura)
名前下村博文(しもむら・はくぶん)
生年月日1954年5月23日
出身地群馬県群馬郡倉渕村(現・高崎市)

下村博文の学歴(高校・大学)

下村博文さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。

  • 出身大学は「早稲田大学教育学部」
  • 出身高校は「群馬県立高崎高等学校」
  • 出身中学は「群馬県内」
  • 出身小学校は「群馬県内」

学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!

出身大学は「早稲田大学教育学部」

早稲田大学
出典:Googleマップ
  • 早稲田大学
  • 〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1丁目104
  • 偏差値:62.5-70

13学部・25研究科を設置しています。

政治経済学部を看板学部としており、政界・財界で活躍している数多くの人材を輩出しています。

下村博文さんは、教育学部社会科社会科学専修を卒業しています。

憧れの早稲田大学に入学

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

お母さんには授業料の安い地元の国立大学を勧められたそうですが、

下村博文さんはどうしても早稲田大学に行きたかったので、

早稲田大学の色々な学部を受け、教育学部に合格した

そうです。

当時は早稲田大学出身の作家が一世を風靡していた時代で、

下村さんは

そのような文学が生まれる自由な校風にあこがれていた

と話しています。

大学4年の時に塾を開講

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

生活費を稼ぐためにした家庭教師のアルバイトで、教育に興味を持ち、

大学4年生の時に友人に呼びかけ、塾を開きました。

ただ合格を目指すだけの塾ではなく、

勉強をしながら本人の能力を引き出す事を目的としていたそうです。

そのため、マラソンや合宿、キャンプやキャッチボール、

手紙で人生を語るなどといった事もしており、

学習塾ではなく人間形成塾のようだった

そうです。

塾経営が下村博文さんの「教育改革論の基礎になっている」と語っています。

出身高校は「群馬県立高崎高等学校」

高崎高等学校
出典:Googleマップ
  • 群馬県立高崎高等学校
  • 〒370-0861 群馬県高崎市八千代町2丁目4−1 県立高崎高等学校
  • 偏差値:69

公立の男子高で、普通科のみ設置しています。

県内トップクラスの進学校で、部活動も盛んです。

元内閣総理大臣の中曽根康弘さんと福田赳夫さんも卒業しています。

奨学金のおかげで高校へ

下村博文
出典:下村博文WEB

下村博文さんの家庭は貧困だったそうです。

そのため、交通遺児の奨学金と日本育英会の特別奨学金を受け取る事ができました。

それらのおかげで、下村さんは

安心して高校に通うことができた

のだとか。

受験ができ学校へ行けるという事がとても嬉しく、学ぶ事の喜びを知ったといいます。

このような経験から「教育」という環境を整備していくため、

政治家になるという目標を持ったそうですよ。

出身中学校は群馬県内

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

下村博文さんは出身中学校を公表しておりませんが、群馬県内の公立中学校と思われます。

自宅から8kmも離れた中学校に通っていた

と語っています。

母のおかげで強くなる

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

父親いない事を理由に、地元の子にいじめられた事がある

という下村博文さん。

学生服のボタンを全て引きちぎられ、泣きながら帰った事があるそう。

そんな下村博文さんにお母さんは、

手を出されたらやり返すくらいの心構えが大事

だと叱ったそうです。

寝る暇もないくらい忙しいお母さんですが、

土日は子供との時間を作ってくれていたのだとか。

父親と母親の役割を1人で担い、決して甘やかす事はなく、

強く生きていけるよう育ててもらったそうです。

出身小学校は群馬県内

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

下村博文さんは出身小学校を公表しておりませんが、群馬県内の小学校と思われます。

小学校3年生の時に父親が事故死

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

下村博文さんは、9歳の時にお父さんを亡くされています。

下村さんご家族は、住民同士がみんな顔を知っているような小さな村で住んでおり、

お父さんは農協の職員として農家の相談に乗っていたそう。

その日も住民の方からの電話で、オートバイで出かけたそうです。

お礼にと冷酒もらった帰り道、雨で視界が悪い中、

砂利道でハンドルをとられ川に転落してしまった

といいます。

こうして下村博文さんは幼くして交通遺児になりました。

母子家庭で貧しい暮らしを送った

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

父親の死後、お母さんと下村博文さん、弟2人は、群馬郡榛名町の母親の実家に移ったそうです。

お母さんはパートに出ていたものの、子供3人を食べさせるには苦しく、

畑を使い自給自足の生活だった

と言います。

卵を3兄弟で分け合いご飯にかけて食べたりしていたそうです。

小学校6年生の頃には耕運機を動かし、畑仕事を手伝っていた

といいます。

何よりも食べる事が優先の生活だったようで、

生活保護を受けたらとの助言もあったそうですが、

お母さんは

働けるうちは人の助けを借りないでやっていく

と強く思っていたのだとか。

本の虫だった小学生時代

下村博文
出典:X(@hakubun_s)

お小遣いがない下村博文さんは、小学校の図書館の本を1000冊は読んだそうです。

土曜日は図書館で1冊本を借りて、弁当を持って裏山に行き、

暗くなるまで読みふけっていた

といいます。

家には教科書以外なかったそうですが、高学年の頃に1冊だけ買ってもらったそうです。

借り物ではない初めての自分の本が嬉しく、ボロボロになるまで何度も読んだ

のだとか。

また、

友人の家にある本棚にキレイに並べられた本が羨ましかった

と語っています。

まとめ

下村博文さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。

小学校、中学校は非公表ですが、群馬県内の学校と思われます。

高校は群馬県立高崎高等学校で、

大学は早稲田大学教育学部へ進学・卒業しています。

下村博文さんの今後のご活躍も楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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