パリオリンピックの日本代表にも選ばれた体操・宮田笙子選手。
19歳で初のオリンピック出場となります。
この記事では、宮田笙子さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
宮田笙子のwikiプロフィール
名前 | 宮田笙子(みやた・しょうこ) |
生年月日 | 2004年9月21日 |
出身地 | 京都府 |
身長 | 151cm |
所属 | 鯖江体操スクール→順天堂大学 |
宮田笙子の学歴(高校・大学)
宮田笙子さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 出身大学は「順天堂大学 スポーツ健康科学部」
- 出身高校は「福井県立鯖江高等学校」
- 出身中学は「亀岡市立亀岡中学校→鯖江市中央中学校」
- 出身小学校「京都市立伏見板橋小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
出身大学は「順天堂大学」
- 順天堂大学
- 〒113-8421 東京都文京区本郷2丁目1-1
- 偏差値:45(スポーツ健康科学部)
東京都にある私立大学です。
スポーツ健康科学部では多くのアスリートやスポーツ関連の人材を輩出しています。
- 三浦貴大(俳優)
- 冨田洋之(元体操選手)
- 鈴木大地(元競泳選手)
怪我を乗り越えパリ五輪代表に!
宮田笙子さんは2023年4月、順天堂大学スポーツ健康科学部に入学し、2024年現在は大学2年生です。
大学入学前の2023年2月、右かかとの疲労骨折が判明。
このとき医師からは
このまま続けていると体操ができなくなる。
と言われたそうです。
それほどに深刻な状態だったため、練習量を大幅に減らし、足の負担が大きいゆかの練習を1ヵ月休みました。
そんな中、宮田さんは
2023年4月の全日本総合選手権では2位という結果を出し、
この年のNHK杯も優勝しています。
また2024年、4月に行われた全日本個人総合選手権でも優勝しました。
この結果も加算され、パリオリンピックの切符をかけたNHK杯に出場が決まりましたが
宮田さんは、このNHK杯の大会直前に左脚の内転筋を痛めてしまいました。
痛みに耐えながらの演技をしたせいか、1日目はゆかで転倒…
実力を発揮することができませんでした。
しかし、
得意の跳馬で2日間ともトップの得点を出し、NHK杯3連覇
を果たしました。
大会終了後、宮田さんは、
と話し、痛みに耐えながらも、無事に2日間を終えることができたといいます。
そして、無事にパリオリンピック代表に選ばれました!
出身高校は「福井県立鯖江高等学校」
- 福井県立鯖江高等学校
- 〒916-0054 福井県鯖江市舟津町2丁目5-42
- 偏差値:53
男女共学の公立高校です。
- 後藤光貴(元プロ野球選手)
- 酒井優衣(長距離走選手)
- 杉野正尭(体操選手)
高校時代の大会成績
宮田笙子さんは中学3年生のころから、
鯖江体操スクール
で田野辺満監督のもとで練習を開始しました。
このころの宮田さんの大会成績は
【高校1年生】
全国高校総体代替大会で女子個人総合:優勝
【高校2年生】
全日本種目別選手権、跳馬:2位
全国高校総体(インターハイ):団体2位、個人総合優勝
全日本シニア選手権:個人総合優勝
全日本団体選手権:団体3位、個人総合優勝
【高校3年生】
全日本体操個人総合選手権:個人総合2位
NHK杯:個人総合優勝
アジア選手権:団体3位、跳馬2位、ゆか2位
全国高校総体(インターハイ):団体優勝、個人優勝(2連覇達成)
国民体育大会:団体優勝
全日本シニア選手権:優勝(2連覇達成)
世界選手権:平均台3位
全日本団体選手権:団体優勝
このように宮田さんは、数々の大会で優勝しています。
出身中学校は「亀岡市立亀岡中学校」
- 亀岡市立亀岡中学校
- 〒621-0864 京都府亀岡市内丸町13
男女共学の公立中学校です。
京都から福井・鯖江へ
宮田笙子さんは、中学3年生の10月に鯖江市中央中学校へ転校しています。
遠征先の鯖江で、福井県体操協会会長を務めていた故小竹英雄さんに
と幾度となく声をかけられたとのこと。
このことがきっかけで、京都から福井県へ転校し、鯖江体操スクールに所属します。
小竹さんは、宮田選手が厳しい指導をされたり、調子が上がらず落ち込んだりしているとき
と優しく声をかけてくれたそうです。
宮田選手にとって小竹さんは
私の体操人生を変えてくれた人
なのだそうですよ。
鯖江体操スクールで恩師と出会う
宮田さんは鯖江体操スクールで、田野辺満監督に指導を受けます。
田野辺満監督は、アテネオリンピック金メダリストの冨田洋之さんなどを指導してきた監督です。
当時の宮田さんのことを田野辺監督は
パワーはあるが粗削り。
気持ちにムラがある。
練習に真面目に向き合っていない。
課題がたくさんある。
その分大きな伸びしろがある。
このような印象だったそう。
それからは、精神面・生活面・練習の向き合い方・コンディションの整え方などトップになるために足りないことを徹底して教えたのだとか。
当時、宮田さんは
なんやねんってむかつくときもあった
このような気持ちにもなったりしたそう。
しかし、宮田さんはそんな監督のことをとても尊敬しているようで、
思ったことを言ってくれて、感謝している。
そうですよ。
出身小学校は「京都市立伏見板橋小学校」
- 京都市立伏見板橋小学校
- 〒612-8073 京都府京都市伏見区下板橋町610
男女共学の公立小学校です。
体操を始めたのは4歳
宮田笙子さんが、体操を始めたのは4歳のとき。
もともと兄が体操教室に通っていたそうで、そんな兄のことを真似ていた宮田さんに
と、母親が声をかけたのがきっかけだったそうです。
宮田さんは、小学生のころは
京都ジャンピング体操クラブ
に所属していました。
宮田さんの家の和室には、
- 6メートルほどあるマット
- 小さな鉄棒
- 近所の鉄工所に依頼して作ってもらった円馬
といった、いろいろな体操器具が揃っていたのだとか。
幼少期は兄と2人で、お風呂上りに体操の演技を披露していたそうです。
マットがすごくお気に入りだった宮田さんは、
といつも母親に演技を見てもらっていたそうですよ。
また、サーカスを見に行く機会が多かったようで、小学校のときは
と言っていたそうです。
まとめ
宮田笙子さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
4歳のころから体操を始めた宮田さん。
鯖江体操スクールに所属するために京都から福井県に転校しました。
中学3年生から田野辺満監督のもとで指導を受け、そして2024年パリオリンピック代表に選ばれました。
宮田笙子選手の今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
最後まで演技をやりきることができてよかった…