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榎本遼香は筑波大卒で飛び込み研究のため大学院へ!恩師との絆が泣ける!

飛び込み選手としてご活躍されている榎本遼香さん。

この記事では、榎本遼香さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。

榎本遼香のwikiプロフィール

榎本遼香
出典:Instagram(@eno_mon)
名前榎本遼香(えのもと・はるか)
生年月日1996年9月14日
出身地栃木県宇都宮市
身長165cm
体重59kg

榎本遼香の学歴(高校・大学)

榎本遼香さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。

  • 出身大学は「筑波大学体育専門学群」→「筑波大学大学院」
  • 出身高校は「作新学院高等学校」
  • 出身中学は「作新学院中等部」

学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!

出身大学は「筑波大学体育専門学群」

筑波大学
  • 筑波大学体育専門学群
  • 〒305-0005 茨城県つくば市天久保1丁目1−1
  • 偏差値:61-67

文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校。

政治家やスポーツ選手、芸能人など数多くの方が卒業されています。

筑波大学卒業の有名人
  • 青木裕子(アナウンサー)
  • 杉村太蔵(元衆議院議員)
  • 中山雅史(元サッカー選手)

榎本遼香さんは、筑波大学体育専門学群卒業後、筑波大学大学院に通っています。

肺に腫瘍が見つかる

榎本遼香
出典:4years.

榎本遼香さんは、大学入学前の2015年3月に肺に腫瘍が見つかり、

「肺がんの疑いがある」と診断され、開胸手術を受けました

幸い腫瘍は悪性ではなかったものの、術後は痛みや呼吸のしづらさがあり、

競技をやめようかとも考えたそうですが、

オリンピックに出るという目標を達成するため、続ける事を決めました。

同年7月のユニバーシアードで復活をし、

女子3mシンクロナイズドで中川真依さんと5位入賞を果たしました。

しかし、完全復活できたのは大学4年になってからだそうです。

大学院に進んだ理由

出典:Instagram(@eno_mon)左:榎本遼香さん 右:宮本葉月さん

榎本遼香さんが大学院に進んだ理由は、

”自分が現場で競技をしていることが研究のテーマになる”

と思ったからだそう。

飛び込み競技を検索をかけたときに、

競技に関する指導や、有効なトレーニング方法などの論文が出てこない事がもったいな

と感じ、

”飛び込み競技”を検索する人に届くようにしたいと思ったそうです。

大学の卒業論文では、深く探求出来ずだったので、

もっと飛び込み競技で議論したいという思いから大学院へ進んだとの事です。

「3m飛板飛込のシンクロ競技をいう、二人で同時に飛ぶ競技について、シンクロするとはどういうことなのか」

を探求した内容の論文が学会に認められたそうです。

出身高校は「作新学院高等学校」

作新学院高等学校
  • 作新学院高等学校
  • 〒320-0047 栃木県宇都宮市一の沢1丁目1−41
  • 偏差値:40-71

日本最大の規模と卒業生を持つ大規模校で、幼稚園から高等部まであります。

運動部、文化部とも盛んで、硬式野球部や軟式野球部、演劇部、吹奏楽部など、全国クラスの部活動があります。

無敵の高校時代

榎本遼香
出典:Instagram(@eno_mon)

榎本遼香さんは、中学生から競技を始めたにもかかわらず、

いくつもの大会で優勝しています。

  • 高校2年生インターハイ2冠
    3m板飛び込み優勝・高飛び込み優勝
  • 第36回全国ジュニアオリンピックカップ高飛び込み優勝
  • 第68回国民体育大会3m板飛び込み優勝
  • 日本選手権1m板飛び込み優勝

短い競技歴でこんなにも優勝しています。まさに敵なしですね。

出身中学校は「作新学院中等部」

作新学院中等部
  • 作新学院中等部
  • 〒320-0047 栃木県宇都宮市一の沢1丁目1−41

道徳の一環として、モーニング・ディヴォーションと言われる聖書学習を取り入れており、

キリスト教の教えを学習しています。

中高一貫校扱いではありますが、他校への進学も可能です。

恩師・馬場内登志絵さん

榎本遼香
出典:読売新聞オンライン

榎本遼香さんは幼稚園の頃から器械体操を習っていたそうです。

小学校5年生の時に、練習を見ていた作新学院教論であった馬場内登志絵さんに、

「飛び込みに興味はないか」

と声をかけられたそうです。

体操と飛び込みと迷った末、飛び込みを選んだ榎本遼香さんは、

作新学院中等部に進み、本格的に飛び込みを始めました。

練習はかなり厳しく、夜の8時頃まで基本練習を繰り返したこともあったそう。

馬場内登志絵さんの熱心な指導もあり、

中学2年生で全国大会に出場

するまでに成長しました。

ある日、馬場内登志絵さんは、

練習ノートに「お休みする」という旨の書き置きを残し、プールから離れます。

榎本遼香さんには伝えていなかったが、がんだったそうです。

2011年の9月に連絡をもらい駆けつけましたが、逝去された後でした。

恩師との別れに、競技をやめる事も考えたそうですが、馬場内登志絵さんが、

「体のラインとつま先の伸びがドンピシャ。この子なら五輪に行けるかもしれない」

引用:読売新聞オンライン

と言っていたことを聞き、続ける事を決意したそうです。

東京オリンピック出場が決まった時には、墓前に報告したと語っています。

まとめ

榎本遼香さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。

作新学院中等部から作新学院高等部へ進み、筑波大学体育専門学群へ入学しました。

筑波大学卒業後は、もっと飛び込みを探求したい思いから、大学院へ進んでいます。

榎本遼香さんの今後のご活躍も楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。