女優としてご活躍されている円井わんさん。
この記事では、円井わんさんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。


円井わんのwikiプロフィール

- 本名:中西麻梨香(なかにし まりか)
- 生年月日:1997年6月17日
- 出身地:大阪府
- 身長:約160cm
- 趣味:音楽鑑賞、ドラム演奏
- 特技:ドラム演奏、表現活動(演技・ダンスなど)
円井わんの学歴(高校・大学)
円井わんさんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学していない
- 出身高校は「香ヶ丘リベルテ高校」
- 出身中学は大阪市内?
- 出身小学校は大阪市内?
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学していない

円井わんさんは高校卒業後、大学には進学せずに女優を目指して上京しました。
東京では映画好きが集まるバーでアルバイトをしながら、女優としてのチャンスを模索していたそうです。
本人はこの時期について「何のあてもなく上京して、映画好きの人たちと出会い、そこから映画監督の内田英治さんと知り合うことができた」と語っています。
この縁がきっかけで、映画『獣道』(2017年)に出演し、映画初出演を果たしました。
その後も映画『光と禿』ではスタイリスト助手兼キャストとして現場に携わり、
舞台挨拶の司会も務めるなど、裏方から表舞台まで幅広く経験を積んでいます。
芸名「円井わん」への転換とキャリアの飛躍

2017年から2019年までは本名の「中西麻梨香」で活動していましたが、2020年以降は芸名「円井わん」としての活動を本格化させています。
2020年には自ら企画・キャスティングを行ったYouTube配信の連続モキュメンタリードラマ
『コウキの雨鳴き-About Kouki-』を制作し、創作面でも積極的に関わるようになりました。
2021年に公開された映画『KONTORA-コントラ』では初主演を務め、
エストニアのブラックナイト映画祭でグランプリと最優秀音楽賞の二冠を獲得するなど、国内外で注目を集めました。
新たな事務所所属と今後の展望

2024年3月末に前事務所との契約を終了し、2024年5月からはスクワッドマネジメントに所属しています。
新たなマネジメント体制のもと、朝ドラ『虎に翼』『ばげばげ』への出演も発表されるなど、さらなる活躍が期待されています。
円井さん自身は「海外の作品にも挑戦したい」と語っており、特に韓国映画に強い憧れを持っているそうです。
女優としての表現の幅を広げるため、語学の勉強も視野に入れているとのこと。
こうした意欲的な姿勢が、今後のキャリアの飛躍につながっていくのかもしれませんね^^
出身高校は「香ヶ丘リベルテ高校」

- 香ヶ丘リベルテ高校
- 〒590-0012 大阪府堺市堺区浅香山町1丁2−20
- 偏差値:37~41
円井わんさんは大阪府の私立・香ヶ丘リベルテ高校の表現教育科に在籍していました。
この学科では、演技やダンス、楽器演奏など、さまざまな表現活動を授業の一環として学んでいたそうです。
高校時代の学科と表現活動

円井わんさんが在籍した“表現教育科”は、授業の中に演技やダンス、楽器演奏などが含まれていたそうですが、
当時は演技に本気で取り組むことにどこか恥ずかしさを感じていたとも明かしています。
「女優を一番やりたいと言っているのに、なぜか恥ずかしくて、自分でも『こいつ、雑魚だな』って思うようなタイプの人間でした」
出典:NB Press Online
と振り返る円井さん。
楽器やダンスには真面目に取り組んでいたものの、演技については
「シェイクスピアの『夏の夜の夢』の朗読をしたくらいで、演技に真面目に取り組んでいなくて、本当に雑魚でした」
出典:NB Press Online
と自己評価しています。
夢への葛藤と親の反対

高校入学間もない頃、円井わんさんは「役者になりたい」と初めて作文に書いたそうです。
しかしその夢は、すぐに家族の強い反対に直面しました。
「やっていけるわけがない」と親からは猛反対を受けたといいます。
高校時代には理想と現実のギャップに悩みながらも、ロックバンド「UVERworld」の音楽に救われた経験もあったそうです。
「理想と現実がかけ離れすぎて、全然追いつけなかった。そんなときにUVERworldの曲を聴いて、歌詞に救われました」
引用元:ミニシアターに行こう。
と振り返っています。
音楽活動とドラムへの情熱

高校1年生からはドラムを始め、音楽にも熱中していた円井わんさん。
ドラムについては「高校一年生からです。ドラムは楽しかったです」と語っていますが、弦楽器は苦手だったとのこと。
音楽は趣味で良い、自分にはできないなという気持ちもあったようです。
しかし、音楽や表現活動に救われてきたという思いが強く、
「私は表現に救われてきた人間なんです。
映画というよりも音楽だったんですが、表現に助けてもらったという思いがある」
引用元:ミニシアターに行こう。
とも述べています。
高校時代は「UVERworld」のライブに足繁く通い、音楽に没頭することで日々の葛藤や悩みを乗り越えていたのだとか…
上京への決意と家族との約束

高校卒業後は大学進学を選ばず、役者を志して上京を決意します。
その際も家族からは反対されましたが、最終的には母親から「やりたいことをやって、24歳でダメだったら帰ってきなさい」と条件付きで許されたそうです。
親戚中からも「絶対、無理やん」と反対されたといい、
それでも「私には、これしかなくね?」という強い思いで東京へ向かった円井さん。
夢を諦めず、表現者として生きる覚悟を持った高校卒業の決断だったのだとか…
出身中学校は大阪市内?

円井わんさんの出身中学校は公表されていませんが、出身地から大阪市内であると推測されています。
円井わんさんは中学生時代、自身について「つけまをつけて、眉毛もなかったんですよ。なんかバカでした(笑)」と振り返っています。
派手なメイクや個性的なファッションを楽しんでいた時期だったようです。
本人は「バカだった」と冗談めかして語っていますが、思春期ならではの自己表現の一環だったのでしょう!
中学校での人間関係と危機察知能力

中学生時代、円井わんさんは「かなり巧妙に洗脳状態に持っていく」ようなグループがいたことを明かしています。
「みんなその子から離れないんですよ。それに中学生は世界が学校しかないので視野は狭いですよね。私は違和感しか覚えなかったので離れましたけど…」
引用元:めざましmedia
と語り、周囲に流されず自分の感覚を大切にしていたそうです。
この経験を通じて
「その頃に鍛えられたセンサーがビビッと働くようになって、危険察知能力がとても高くなった」
とも述べています。今ではそうした人たちを全く寄せ付けない自信があるのだとか…。
出身小学校は大阪市内?

円井わんさんの出身小学校は公表されていませんが、出身地から大阪市内であると推測されています。
地元や学校生活については
「地元はめっちゃ嫌いなんです。
大阪市内なんですが、すごく狭い世界で、それこそ差別や偏見だらけの街でした。
学校にもうまくなじめなくて、クラスではやっていることに興味がなかったから、私、そんなに好きじゃないって言ったら、速攻でいじめられました」
引用元:ミニシアターに行こう。
と、当時の苦しい経験を振り返っています。
幼少期から続く「家族ごっこ」への情熱

円井わんさんは、小学校時代以前から「役者になりたい」という夢を抱いていたと語っています。
きっかけははっきりと覚えていないものの、幼稚園のころから友達と「家族ごっこ」をするのが大好きだったそうです。
本人いわく、「家族ごっこが大好きで、友達と家族の演じ合いをしていた記憶があります」と振り返っています。
映画やテレビを頻繁に観る家庭ではなかったものの、自然と演じることに惹かれていた幼少期。
小学校時代もその思いは変わらず、日常の中で何かになりきる遊びを楽しんでいたのだとか…。
まとめ
円井わんさんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
多様な困難を乗り越え、自分らしさを貫く強さが感じられます。
円井わんさんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。

