俳優やダンサー、シンガーソングライターとしてもご活躍されている坂口涼太郎さん。
この記事では、坂口涼太郎さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
坂口涼太郎のwikiプロフィール

- 本名:坂口 涼太郎(さかぐち りょうたろう)
- 生年月日:1990年8月15日
- 出身地:兵庫県神戸市
- 身長:172cm
- 血液型:B型
芸人のひょっこりはんに似ていると、見た目も話題になっています。
坂口涼太郎の学歴(高校・大学)
坂口涼太郎さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学せず「ファッション専門学校」へ
- 出身高校は「神奈川県立茅ヶ崎高校」
- 出身中学は「神戸市立太山寺中学校」
- 出身小学校は「神戸市立小寺小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学せず「ファッション専門学校」へ

- 文化服装学院
- 〒151-0053 東京都渋谷区代々木3丁目22−1
坂口涼太郎さんは高校卒業後、大学には進学せず、
ファッションに興味を持っていたことから、都内のファッション専門学校である文化服装学院へ進学しました。
ファッション専門学校への進学と学び

ファッション専門学校へ進学した理由は、
「パリコレのショーを観て、どうやって服が作られているのか知りたかった」
だと語っており、ものづくりの過程に強い関心を抱いていたそうです。
服飾の勉強を通して、ファッションの奥深さや表現の多様性を実感した日々。
専門学校時代は、ファッションを「武装」と表現し、
と独自の美学を発信していたのだとか…。
18歳で俳優デビューしたきっかけ

専門学校在学中、坂口さんはダンス公演『戦争わんだー』で俳優・八十田勇一さんと出会います。
八十田さんから
「君は踊っている時もすごく喋りたそうに見える。俳優ならダンスもセリフもできるよ」
と勧められたことが転機となりました。
坂口さんはこの言葉に背中を押され、オーディションを受けて芸能事務所「キューブ」へ所属。
18歳で本格的に俳優としての道を歩み始めました。
多くの個性的な俳優が集う環境で、
と強く感じたそうです。
表現者としての模索とライブ活動

高校から専門学校時代にかけて、坂口さんは自作の楽曲をピアノの弾き語りで披露し、
ライブ活動や動画配信も行っていました。
自分の思いを歌やダンスで伝えることの楽しさを知り、
ライブ活動を通じて「伝える力」を磨いていった時期です。
出身高校は「神奈川県立茅ヶ崎高校」

- 神奈川県立茅ヶ崎高校
- 〒253-0042 神奈川県茅ヶ崎市本村3丁目4−1
- 偏差値:56
1948年に創立された公立の高校です。
坂口涼太郎さんは中学時代まで兵庫県神戸市で過ごし、
高校入学のタイミングで父親の仕事の都合により神奈川県茅ケ崎市へ引っ越しました。
高校入学と神奈川県茅ケ崎市への転居

中学卒業後の転居は、彼の高校生活に大きな影響を与えたようです。
新しい環境のノリに馴染めず、当初は塞ぎ込むこともあったそうです。
しかし、
音楽の授業で自作の歌を発表した際、クラスメイトが涙を流して感動してくれたことで、
彼は自信を取り戻し、ライブ活動を始めるきっかけとなりました。
こうした経験が、後の俳優やシンガーソングライターとしての活動の基盤となっています。
高校時代の部活動とダンスレッスン

坂口涼太郎さんは高校時代、運動部や文化部には所属していませんでした。
その代わりに、
森山未來さんの両親が経営するダンススタジオ「スタジオモダンミリィ」に通い、多様なジャンルのダンスレッスンを受けていました。
ジャズ、バレエ、コンテンポラリー、ヒップホップなど幅広く学び、ダンスの技術を磨いていったのです。
高校2年生の時には、
森山未來さん主演・演出のダンス公演『戦争わんだー』にダンサーとして出演し、
これがプロとしての初舞台となりました。
彼はこの舞台で「表現とは命懸けのもの」と強く感じたと語っています。
出身中学校は「神戸市立太山寺中学校」

- 神戸市立太山寺(たいざんじ)中学校
- 〒651-2102 兵庫県神戸市西区学園東町2丁目2−2
兵庫県神戸市西区にある公立中学校です。
ダンスとの出会いと本格的なレッスン開始

坂口さんは、小学生の頃にミュージカル『キャッツ』を観て感動し、
と強く思うようになったそうです。
しかし中学2年生までは行動に移せず、迷っていた時期もあったとのこと。
そんな時、母親から「ミュージカルに出たいならダンスも必要だよ」と背中を押され、
神戸市にある森山未來さんの両親が経営するダンススタジオ「スタジオモダンミリィ」に通い始めました。
母親は息子の夢を理解し、ダンススタジオ探しやレッスンへの送り迎えなど、積極的にサポートしていたようです。
坂口さん自身も
と語っています。
当時は男子でダンスを習う人が珍しかったため、最初は女の子たちの中で気後れも感じたそうですが、
次第にダンスの魅力に引き込まれていったと語っています。
中学3年生の時には、同スタジオのダンス公演の裏方を担当し、
「本当は舞台のスポットライトを浴びたい」
と強い思いを胸に秘めながら袖で踊っていたエピソードも印象的です…。
部活動への不参加と音楽との関わり

坂口さんは中学時代、部活動には所属せず、放課後はダンスや音楽に時間を費やしていました。
ダンスのレッスン以外にも、サックスの練習を始めるなど音楽への関心も高かったようです。
スポーツは苦手で、特に球技は不得意だったと本人が語っています。
中学時代から「自分のやりたいこと」に素直に向き合い、
周囲と違う道を選ぶことに迷いもあったそうですが、表現活動への情熱が勝ったのだとか…。
この時期の経験が、後の多彩な表現活動の基盤になっています。
出身小学校は「神戸市立小寺小学校」

- 神戸市立小寺(こでら)小学校
- 〒651-2103 兵庫県神戸市西区学園西町5丁目5
幼少期の家庭環境と表現への目覚め

坂口涼太郎さんは、一人っ子として両親に大切に育てられました。
3歳からピアノを習い始め、幼い頃から劇場や映画館、美術館に連れて行ってもらうなど、芸術に触れる機会が多かったそうです。
幼稚園の頃の夢は「サーカス団になりたい」だったと語り、
きらびやかな世界やパフォーマンスに強い憧れを抱いていたとのこと。
小学校時代もその思いは変わらず、目立ちたがり屋な一方で
赤面症という一面も持っていたそうです。
自分の感性を大切にしながら、自由にのびのびと育った幼少期だったようです^^
アトピー性皮膚炎との向き合いとコンプレックス

坂口さんは5歳から7歳ごろまで重度のアトピー性皮膚炎に悩まされていました。
小学校1年生の入学式で同級生と握手をする際、
と聞かれ、自分が触られたくない存在だと感じて傷ついた経験があると語っています。
しかし、母親の努力もあり7歳でアトピーを克服できたそうです。
幼いながらに自分の弱さと向き合い、乗り越えた経験が、後の表現活動にも影響しているのかもしれません…。
ミュージカル『キャッツ』との出会いと将来への決意

坂口涼太郎さんが舞台や俳優を目指す大きなきっかけとなったのは、
小学3年生の時に観たミュージカル『キャッツ』でした。
劇中歌「メモリー」に心を打たれ、涙があふれて止まらなかったと語っています。
と強く思い、歌やダンスへの情熱が芽生えた瞬間だったそうです。
本人も
「自分の感性に合っているのが、そういうものだったのかな」
と振り返っています。
幼い頃から歌うことや踊ることが好きで、
2歳の頃にはちゃぶ台の上で母親のバレエのチュチュを着て踊っていたというエピソードも印象的です^^
小学校時代の友人関係と個性

坂口さんは小学校時代、きらきらしたものや可愛いものが好きだったため、仲良くなるのは主に女の子だったそうです。
男子からは「おかまー」とからかわれることもありましたが、
と髪をかき上げて返すなど、気の強さとユーモアで乗り越えていたと語っています。
自分らしさを大切にし、人と違うことを恐れずに過ごした小学校時代。
NHKの番組でも
「自分が好きだったら良いじゃない!」
と語る姿が印象的です。
幼い頃から自分の個性と向き合い、表現することの楽しさを知っていたんですね!
まとめ
坂口涼太郎さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
多彩な表現に真摯に向き合う姿が魅力的で、芯の強さを感じました!
坂口涼太郎さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「メイクは威嚇だからラインストーンは貼っていこう」