女優としてご活躍されている戸田菜穂さん。
この記事では、戸田菜穂さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。

戸田菜穂のwikiプロフィール

- 本名:戸田 菜穂(とだ なほ)
- 生年月日:1974年3月13日
- 出身地:広島県広島市
- 身長:165cm
- 血液型:A型
- 趣味:俳句、テニス、美術館巡り
- 特技:フランス語、テニス
戸田菜穂の学歴(高校・大学)
戸田菜穂さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 出身大学は「玉川大学文学部外国語学科」
- 出身高校は「広島県立安古市高校」
- 出身中学校は「広島市立可部中学校」
- 出身小学校は「広島市立可部小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
出身大学は「玉川大学文学部外国語学科」

- 玉川大学文学部外国語学科
- 〒194-8610 東京都町田市玉川学園6丁目1−1
- 偏差値:42.5~45.0
玉川大学8学部16学科を置く私立大学です。
戸田菜穂さんは、高校卒業後に玉川大学文学部外国語学科へ進学し、フランス語を専攻していました。
玉川大学での学びとフランス語専攻の日々

大学生活では、テニス同好会を自ら立ち上げるなど、積極的に学業と課外活動の両立に励んでいたそうです。
フランス旅行の際、現地で日本文化について質問されたもののうまく答えられず、
「多様な知識の引き出しを持つことが人間的な魅力につながる」
と痛感したエピソードも語られています。
朝ドラヒロイン抜擢と女優としての転機

戸田菜穂さんは大学2年生のとき、NHK連続テレビ小説『ええにょぼ』のヒロインに抜擢され、一躍注目を集めました。
撮影のため8か月間休学し、役に没頭する日々を過ごした戸田さんは、
朝ドラ出演をきっかけに、以降も連続ドラマや映画に立て続けに出演。
大学時代はまさに、女優として大きく飛躍した時期でした。
芸能活動と学業の両立、家族との約束

戸田菜穂さんは、芸能界入りにあたり「大学は卒業する」と家族と約束していました。
朝ドラヒロインで多忙を極めた時期も、学業を諦めず、最終的には2年遅れで卒業を果たしています。
芸能活動の合間を縫って大学に通い続けた努力について、
「家族の支えがあったからこそ、最後までやり遂げることができた」
と語っています。
女優業と学生生活の両立は決して簡単ではなかったものの、家族との約束を守り抜いた強い意志が、戸田さんの人柄を物語っていますね^^
出身高校は「広島県立安古市高校」

- 広島県立安古市(やすふるいち)高校
- 〒731-0152 広島県広島市安佐南区毘沙門台3丁目3−1
- 偏差値:
安古市高校は男女共学の公立校で、偏差値62の進学校として知られています。
安古市高校は進学校でありながら部活動も盛んな校風で、戸田菜穂さんは一般受験で入学しました。
進学校での学業とテニス、そして女優への道

戸田菜穂さんは勉強も得意だった一方、部活動は行わずテニススクールに通っていたとのこと。
高校2年生の進路相談の際、
「このまま広島で大学に進学し、就職するのかな」
とふと疑問を抱き、もっと広い世界を見てみたいという思いが芽生えました。
そんな折に本屋で偶然手に取ったオーディション雑誌「De View(デビュー)」でホリプロタレントスカウトキャラバンの募集を見つけ、
「今回初めて女優を募集する」という言葉に惹かれて応募を決意。
「まさか自分が…」と思いながらもグランプリを勝ち取りました。
審査員からは「あなた、ちょっと暗い所があるの分かってる?」と辛口コメントも受けましたが、
グランプリ発表直前には千葉真一さんから「いつか共演しましょうね」と声をかけられたことが、芸能界での最初の鮮烈な思い出だと振り返っています。
高校2年生で芸能界デビュー、広島と東京を行き来した日々

戸田菜穂さんは高校2年生で、ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリを受賞し、芸能界デビューを果たしました。
演劇部にも所属していなかった戸田さんは、右も左も分からないまま17歳で広島と東京を行き来する生活をスタート。
デビュー直後はドラマや映画の現場で監督から厳しく叱られることが多く、
「こんなはずじゃなかった」と感じたこともあったそうです。
特に相米慎二監督からは何度も怒鳴られ、泣きながら現場に通った日もありました。
しかし、最後の撮影で初めて褒められたことが強く印象に残っていると語っています。
「私はスポ根タイプで、怒られると“なにくそ!”と頑張るタイプ」
と自身を分析し、どんな状況でも前向きに乗り越えてきたと振り返ります。
家族の支えと、地元・広島への思い

オーディションに応募する際には、親には「絶対に受からないから」と説得して承諾書にハンコをもらったのだとか。
高校生でデビューし、地元や家族と離れる寂しさはなかったかと問われた際、
「『広い世界を見てみたい』という気持ちが勝っていた」
と語っています。
当時、母親は「娘がずっと女優を続けられるとは思っていなかった」そうですが、
戸田さん自身は「あの母の娘なんだから、なんとかなる」と自分に言い聞かせて乗り越えてきたと明かしています。
出身中学校は「広島市立可部中学校」

- 広島市立可部中学校
- 〒731-0221 広島県広島市安佐北区可部7丁目2−1
広島市立可部中学校での生活とテニスとの出会い

中学進学を機に、近所のテニススクールへ通い始め、本格的にテニスを習い始めたそうです。
戸田さん自身は
「小さい頃から負けず嫌いでせっかちな所もあるが、内側に燃えているものを隠しながら生きているような部分もある」
引用元・Wikipedia
と自己分析しています。
中学時代も、物事に対してあまり迷わず、自分の信じた道を突き進む性格だったと振り返っています。
また、可部中学校は地元でも規模の大きい公立校で、同級生たちとのびのびとした学生生活を送っていたようです。
勉強に打ち込んだ中学時代とテレビへの憧れ

中学生時代の戸田菜穂さんは、塾に通うのが楽しみで、人生でいちばん勉強した時期だったと自身で語っています。
息抜きには、中山美穂さんと後藤久美子さんが共演するドラマ『ママはアイドル』を夢中で見ていたそうです。
後藤久美子さんと同い年ということもあり、
「ちょっと、ゴクミに似ているね」
と言われて嬉しくなり、美容院にヘアカタログを持参したエピソードも披露しています。
仕上がりはイメージと違ったものの、芸能界への憧れが心のどこかに芽生えていた時期だったのかもしれませんね^^
出身小学校は「広島市立可部小学校」

- 広島市立可部小学校
- 〒731-0221 広島県広島市安佐北区可部4丁目9−1
『ザ・ベストテン』に夢中だった小学生時代

戸田菜穂さんは小学生の頃、TBS系の人気歌番組『ザ・ベストテン』を毎週欠かさず見ていたそうです。
3歳年上のいとこの影響で、当時はシブがき隊のヤッくん(薬丸裕英)に夢中だったとのこと。
地元・広島郵便貯金ホールで開催されたシブがき隊のコンサートでは、レコード購入者限定の握手会に参加し、ドキドキしながら順番を待った思い出があると語っています。
また、女優では岸恵子さんやいしだあゆみさんにも憧れていたそうです。
幼いながらも、テレビや芸能の世界に強い関心を抱いていたんですね^^
家族との結びつきと広島での原風景

戸田菜穂さんは、広島市内で歯科医院を営む家族のもとで育ちました。
祖父は広島原爆投下後の救護班として被爆者の治療にあたり、その体験が家族の歴史として語り継がれています。
祖父の代から続く「チーム戸田」と呼ばれるほど家族の結束が強かったそうです。
父親も歯科医で、夜は家族全員で食卓を囲むのが日常。
妹や弟ともフラットな関係で、近所の人たちからも親しまれていた家庭環境だったといいます。
幼少期の思い出として、祖父の家の土間や、近所で大人と子どもが自然に挨拶を交わす広島独特の雰囲気が心に残っているとのだとか。
感性を育んだ母の教えと芸術体験

戸田菜穂さんの母親は
「1に感性、2に感性。心の土壌を肥沃にすることが何よりも大事」
という考えを持ち、幼いころから美術館や映画、コンサートに積極的に連れて行ってくれたそうです。
その影響で、小学生時代には自発的に俳句を詠み始めたことも。
女優への憧れもこの頃から芽生え始めたと語っています。
母親は自分の生き方や考えをはっきり持ち、ファッションにも強いこだわりがあった人物。
授業参観には黒いワンピースに真っ赤な口紅で現れるなど、戸田さんにとっては「かっこよくてきれいな人」だったと振り返っています。
小学校時代のテニスとの出会いと性格の変化

戸田菜穂さんは小学校の夏休みに、子どもだけで参加するテニス合宿に行った経験があるそうです。
家族全員がテニス好きで、子どもの頃からラケットを握っていたとのこと。
もともとは引っ込み思案な性格でしたが、テニスを始めてから明るい性格に変わったと本人も語っています。
スポーツを通じて自分を表現する楽しさや、仲間と過ごす時間の大切さを学んだ小学校時代。
テニスが、後の戸田さんの挑戦心や前向きさの原点となったのかもしれません。
まとめ
戸田菜穂さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
学生時代から挑戦心と家族愛にあふれ、努力を惜しまない芯の強さが魅力的だと感じました
戸田菜穂さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。


