女優としてご活躍されている富田望生さん。
この記事では、富田望生さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
富田望生のwikiプロフィール

- 本名:富田望生(とみた みう)
- 生年月日:2000年2月25日
- 出身地:福島県いわき市
- 身長:152cm
- 血液型:O型
- 趣味:音楽鑑賞、ピアノ
- 特技:ピアノ演奏、ドラムなどパーカッション
富田望生の学歴(高校・大学)
富田望生さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学していない
- 出身高校は通信制高校?
- 出身中学は「府中市立府中第四中学校」
- 出身小学校は「いわき市立郷ケ丘小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学していない

富田望生さんは、高校卒業後すぐに大学へは進学せず、女優としての活動にまい進する道を選びました。
もともと中学時代から芸能界に入り、高校生活自体も多忙な撮影と両立の日々。
卒業後の進路については
と感じていたそうです。
作品・出会いがもたらした成長

高校卒業後の富田望生さんが力を注いだのが、多様な作品と出会う現場経験です。
2020年には連続ドラマ『ブスの瞳に恋してる』で初のヒロイン役を務めるほか、
情報番組『ヒルナンデス!』の曜日レギュラーも担当することに。
本人いわく
「現場で出会う人や作品ごとに、自分が成長できる実感がある」
とのことですよ^^
出身高校は通信制高校?

富田望生さんの高校時代は、すでに女優として数々の作品に出演していたため、
全日制高校に通うのは難しいと判断し、通信制高校を選択したそうです。
通信制高校を選んだことについて、富田望生さんは
と振り返っています。
女優業と両立した通信制高校時代

中学時代に出演した「ソロモンの偽証」をきっかけに芸能活動が本格化し、
高校生活は仕事との両立に追われる日々だったのだとか。
高校在学中には映画『チア☆ダン』や『SUNNY 強い気持ち強い愛』などに出演し、
役作りのために体重を大きく増減させるストイックな姿勢も話題になりました。
実際、本人は「チア☆ダン」の後に約10キロ減量したものの、
舞台挨拶のために再度増量し、「SUNNY」ではさらに7キロ増やしたと語っています。
このような経験を経て、本人は
「体型や容姿も役によって大きく変わることができるのが、自分の強みだと思っている」
と力強く語っています。
出身中学校は「府中市立府中第四中学校」

- 府中市立府中第四中学校
- 〒183-0045 東京都府中市美好町2丁目13
吹奏楽部での音楽活動とピアノへの想い

富田望生さんは中学時代に、吹奏楽部に所属していました。
ここでクラリネットやドラム、パーカッションなどさまざまな楽器に親しみ、音楽愛がさらに深まったようです。
元々、小学生から続けていたピアノの先生になるのが夢でしたが、
福島の先生と離れたことで情熱が薄れ、代わりに吹奏楽や他の楽器に興味が広がりました。
本人いわく
とのこと。
これらの経験は後に映画『モヒカン故郷に帰る』で吹奏楽部長を演じる際にも活かされました。
芸能界での活動は習い事感覚だった

中学1年生のとき、何気なくインターネットで見つけた芸能事務所
「テアトルアカデミー」のタレント募集に応募したのが、女優への道の始まりでした。
小学5年生で福島県から東京へ転居した富田さんは、上京後の、
という思いからの行動だったそうで、女優に強い憧れがあったわけではなかったそうです。
当時はピアノの代わりとなる“習い事”感覚だったと語っています。
応募がきっかけでレッスンに通い始め、週1~2回は芸能活動のためのレッスンと、吹奏楽部を両立していた中学生時代。
仲間と切磋琢磨する現場が「心の支えだった」と本人も述懐しています。
「ソロモンの偽証」オーディションと女優としての転機

中学2年の終わりから3年生に進級する直前、映画『ソロモンの偽証』のオーディションに参加し、
1万人以上の応募者の中から見事に主要キャストに抜擢。
監督から「役柄に合わせて15キロ太ってほしい」と言われ、実際に体型を大きく変えたことは彼女の俳優魂の象徴とも言われています。
受験期と重なった大きなチャレンジ。
と決意して臨んだオーディションだったとのことで、これが本格的な女優人生の幕開けとなりました。
出身小学校は「いわき市立郷ケ丘小学校」

- いわき市立郷ケ丘小学校
- 〒970-8045 福島県いわき市郷ケ丘3丁目50−18
富田望生さんは「いわき市立郷ケ丘小学校」に入学していますが、
震災を機に東京都府中市の小学校へ転校しています。
生まれる前に父を亡くして母子家庭で育つ

富田望生さんの小学校時代は、福島県いわき市でのびのびと過ごした日々だったといいます。
とにかく元気いっぱいだったという富田さん。
海や山を駆け回り、膝にけがをすることも日常茶飯事だったのだとか。
また、冨田さんは母と娘の2人家族で、母子家庭でした。
富田さんの父親は、悲しいことに娘が生まれる約5か月前、1999年の9月ごろ不慮の事故で亡くなっています。
そのため、富田望生さんは父親を直接知ることはなく、父の存在は写真や母親の話を通してしか知り得なかったそうです。
小学3年生でピアノを習い始める

富田さんは、小学3年生からピアノを本格的に習い始め、ピアノの先生に強く憧れていました。
夜遅くまでレッスンを続ける先生の姿に尊敬の念を抱き、やがて自分も「ピアノの先生になりたい」と夢見るように。
先生が卒業した高校や大学にも自然と関心を持つようになり、進学をイメージしていたそうです。
福島から東京への転校と心の葛藤

小学5年生のとき、東日本大震災が発生し、富田さんも強い揺れに襲われました。
当時は教室で過ごしており、家族の無事を確認できるまで不安だったと振り返っています。
震災後は母の仕事の都合もあり、急きょ福島を離れて東京へと転校することに。
慣れ親しんだ土地や大好きなピアノの先生、仲良しの友人と離れることは非常に辛く、
東京に向かう新幹線の中で
とまで思ったといいます。
転校先の学校でも、最初は新しい生活にすぐには馴染めず苦労したそうです。
体操服で過ごしていた福島時代から一転、東京の同級生はおしゃれな私服で登校していて戸惑いもありました。
まとめ
富田望生さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
困難にも真摯に向き合い、夢に向かって努力を惜しまない芯の強さに心を打たれます。
富田望生さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「学業よりも今の女優業に全力を注ぎたい」