黒島結菜のwikiプロフィール

- 本名:黒島結菜(くろしま ゆいな)
- 生年月日:1997年3月15日
- 出身地:沖縄県糸満市
- 身長:162cm
- 血液型:A型
- 趣味:写真撮影、犬の世話
- 特技:どこでも寝られること、バドミントン
2024年1月16日に、俳優の宮沢氷魚さんとの事実婚と妊娠を発表されました。
2024年7月には第1子が誕生しています。
黒島結菜の学歴(高校・大学)
黒島結菜さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 出身大学は「日本大学芸術学部」(中退)
- 出身高校は「沖縄県立糸満高校」
- 出身中学は「糸満市立潮平中学校」
- 出身小学校は「糸満市立潮平小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
出身大学は「日本大学芸術学部」(中退)

- 日本大学芸術学部 写真学科(江古田キャンパス)
- 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2丁目42−1
- 偏差値:55.0(写真学科)
黒島結菜さんは、同校に進学したことを公表しています。
有安杏果(元ももいろクローバーZ)
岩田華怜(元AKB48)
大学進学のきっかけと写真学科での学び

もともと大学進学を考えていなかった黒島結菜さんが日本大学に進学した理由は、
当時のマネジャーから
「芸能界だけでなく、普通の友人ができることで人生が豊かになる」
と勧められたことが大きかったと語っています。
もともとフィルムカメラで写真を撮ることが好きだったこともあり、
写真学科の存在を知って受験し、合格したことでそのまま入学したそうです。
大学では、湿板写真やコーヒー現像など、専門的な撮影技法を学び、写真への興味がさらに深まったと話しています。
学業を通じて、同年代の新しい友人とも出会い、
仕事場以外の大切な居場所ができたことも大学生活の大きな収穫だったとのことです。
大学生活での葛藤と中退を決意した理由

黒島結菜さんは、大学生活について
「大学生特有のキャピキャピした雰囲気に馴染めなかった」
とインタビューで明かしています。
授業が終わると同級生の輪に入れず、すぐにキャンパスを離れることが多かったそうです。
沖縄から上京して間もなかったこともあり、環境の変化に戸惑いを感じていた様子。
さらに、
大学1年生からNHK大河ドラマ「花燃ゆ」や「時をかける少女」などの出演が続き、
仕事と学業の両立が非常に困難だったといいます。
撮影と授業やテストが重なり、学業へのモチベーションも低下。
最終的には4年生のときに中退を決断し、
と心情を語っています。
悩んでいた時期には、ご両親が上京して
「絶対、結菜の味方だから。何かあったらいつでも帰っておいで」
と励ましの言葉をかけてくれたことが、大きな支えになったと振り返っています。
出身高校は「沖縄県立糸満高校」

- 沖縄県立糸満高校
- 〒901-0361 沖縄県糸満市糸満1696−1
- 偏差値:48
文武両道に励む生徒が多く、明るい雰囲気の県立高校です。
等身大の高校生活を楽しんでいた

黒島結菜さんは、数学や物理が好きで、実力テストで学年1位を取ったこともあるそうです。
高校時代はクラスの中心というよりも、教室の端でみんなを客観的に眺めているタイプだったと本人が振り返っています。
ベランダから海が見える教室で、ぼんやりと景色を眺めることも多かったのだとか。
地元のケーキ屋さんでアルバイトをした経験もあり、授業中にこっそりミサンガを作るのが楽しかったと語っています。
芸能活動のスタートと高校生活の両立

黒島結菜さんは、高校時代からすでに芸能活動を本格的にスタートさせていました。
高校1年生の1月には映画「ひまわり」で女優デビューし、
高校2年生の11月にはNTTドコモのCM出演をきっかけに注目されて、
芸能活動と学業の両立に励む日々が続きました。
地元沖縄の高校に通いながら、撮影のたびに東京へ通う生活は多忙を極めていましたが、
地元での穏やかな時間が心の支えになっていたようです。
芸能界での活躍と学業の両立に悩むことも多かったものの、家族や友人の支えが大きな力になっていたといいます。
出身中学校は「糸満市立潮平中学校」

- 沖縄県糸満市立潮平中学校
- 〒901-0301 沖縄県糸満市阿波根1200
黒島結菜さんは沖縄県糸満市立潮平中学校出身であることを公表しています。
バドミントンに打ち込んだ中学時代

黒島さんは中学時代、バドミントン部に所属し毎日練習に励んでいました。
小学校6年生の時に母親の勧めで地元クラブチームに参加し、
シャトルを打つ爽快感に魅了されたことがきっかけだったそうです。
中学でもバドミントン部に入部し、顧問の先生が未経験者だったため、
部員同士で練習メニューを考えながら活動していたとのこと。
放課後はクラブチームにも通い、夜遅くまで練習を重ねていたというエピソードも語られています。
中学2年生のシングルス大会ではベスト8入りを果たし、
と本人が振り返っています。
2年生の終わりに芸能活動を始めるため部活動を引退し、最後の大会には出場しなかったそうです。
性格の変化と新しい友人関係

小学校時代は活発でスポーツ好きな少女だった黒島結菜さんですが、
中学校に進学して新しい友人関係ができると、自分が人見知りであることに気づいた
と語っています。
中学に入ってからはおとなしくなり、あまり前に出るタイプではなくなったと本人が回想しています。
教室の中でも控えめな存在で、周囲を観察しながら過ごすことが多かったのだとか。
新しい環境に馴染む中で、自分の性格や人との距離感について考えるきっかけになった時期だったようです。
中学時代の“最大のモテ期”エピソード

黒島結菜さんは、フジテレビ系「ボクらの時代」に出演した際、
「中学校の時が最大のモテ期だったかも」
と明かしています。
クラスメイトたちから告白されることが多く、
しかも呼び出される場所が毎回同じ“学校の角”だったと笑いながら語っています。
と、当時の様子を振り返っています。
全く話したことのない男子からも告白されることがあり、「すいません」と断ったこともあったそうです。
学生時代から人気者だったことがうかがえるエピソードです。
中学3年生で芸能界デビュー

中学3年生の時、黒島結菜さんはウィルコム沖縄の「イメージガールコンテスト」に出場し、
「沖縄美少女図鑑賞」を受賞したことで芸能界デビューを果たしました。
それまでは部活動に打ち込む毎日で、遊びに行くときもジャージ姿が多かったそうですが、
部活を引退した後、ファッションに興味を持ち始め、雑誌を読むようになったといいます。
芸能活動のスタートとともに、これまでとは違う自分を発見するきっかけにもなった時期でした。
出身小学校は「糸満市立潮平小学校」

- 沖縄県糸満市立潮平小学校
- 〒901-0302 沖縄県糸満市潮平634−2
黒島結菜さんが小学生時代に受けたインタビューや広報誌などから、同校出身であることがわかっています。
活発な性格と自然の中での思い出

黒島結菜さんは、小学生時代から外で遊ぶのが大好きな活発な子どもでした。
公園で木登りをしたり、地元の「ター滝」で裸足になって岩を登ったりと、
自然の中で思い切り体を動かすのが日常だったそうです。
「ガジュマルの木を登るのが大好きで、大人になってからもター滝に行くとめちゃめちゃ楽しい」
と語っています。
夏休みには父方の祖父母が住む石垣島で過ごし、パイナップル農園でのびのびとした時間を満喫したというエピソードも。
自然豊かな環境で育った経験が、今の健康的で明るいイメージにつながっているのでしょう。
好きな科目や学校生活での一面

小学校時代の黒島結菜さんは、体育や図工が好きな科目だったと語っています。
体を動かすことや、ものづくりに夢中になれる時間が楽しかったそうです。
また、ミニバスケットボール部にも所属し、さまざまなスポーツに親しんでいたようです。
小学生時代から多彩な才能と明るさを発揮していた黒島さん。
今の活躍の原点がここにあるのかもしれません。
駅伝チーム主将として活躍した

黒島結菜さんは小学生時代、駅伝チームのキャプテンを務めていました。
2009年、糸満地区小体連駅伝大会で女子チームを率い、見事に優勝へと導いた実績があります。
しかも、主将でありながらアンカーも任されていたということで、仲間からの信頼も厚かった様子。
「男女みんなで一つになって頑張ったから優勝できたんだと思います」
と当時のインタビューで語っており、チームワークを大切にする姿勢がうかがえます。
小学校時代からリーダーシップと向上心を発揮していた黒島さん。
今の芯の強さは、この頃に培われたものなのかもしれません。
小学校時代の夢と飛行機への憧れ

黒島結菜さんは、小学生の頃から「飛行機関係の仕事」に憧れていたと語っています。
家の近くが飛行機の通り道だったこともあり、離着陸する飛行機を日常的に眺めていた影響で、
パイロットやグランドスタッフ、キャビンアテンダントなど空港で働く人たちに憧れるようになったそうです。
「一番はパイロットになれたらいいなと思っていたので、英語など一生懸命勉強していた時期もありました」
とインタビューで明かしています。
女優になった後も、子どもの頃の夢だった職業を演じる機会があり、
とも話しています。
小学生時代の純粋な憧れが、今の多彩な表現力につながっているのかもしれません。
まとめ
黒島結菜さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
仲間思いで芯が強く、努力家な性格で、控えめながらもリーダーシップを兼ね備えた学生であったことがわかりました!
黒島結菜さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「学業も仕事も中途半端になるのが嫌だった」