俳優としてご活躍されている山田裕貴さん。
この記事では、山田裕貴さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
山田裕貴のwikiプロフィール
本名: 山田 裕貴(やまだ・ゆうき)
生年月日: 1990年9月18日
出身地: 愛知県名古屋市
身長: 178 cm
血液型: O型
趣味: スポーツ全般、サブカルチャー、御朱印集め
特技: 野球、バレーボール
山田裕貴の学歴(高校・大学)
山田裕貴さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学は進学せず、ワタナベエンターテインメントカレッジに入所
- 出身高校は「東邦高等学校」
- 出身中学校は「愛知県名古屋市立若水中学校」
- 出身小学校は「愛知県名古屋市立高見小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学は進学せずワタナベエンターテインメントカレッジに入所
山田裕貴さんは大学には進学せず、
高校卒業後に「ワタナベエンターテインメントカレッジ(WEC)」に入所
したことが公表されています。
俳優を目指して進路を模索していた際、妹から同校を勧められたことがきっかけだったそうです。
役者としてテレビに出たいという思いが強く、芸能養成所で本格的に演技を学ぶことを決断しました。
アルバイトで生活費を稼ぎながら演技の勉強を続けた
在学中、山田裕貴さんは生活費を稼ぐために
ファーストフード店や居酒屋でアルバイトをしながら演技の勉強を続けていました。
在学中や卒業直後はエキストラや舞台セットの組み立てなども経験したそうです。
また、恵比寿ガーデンプレイスを訪れ、黄昏ながら悩みや不安と向き合ったこともあるのだとか。
いまや主役級の俳優となった山田さんでも、下積み時代は色々な想いを抱えながら過ごしていたんですね。
2010年に「D☆DATE新メンバーオーディション」に挑戦
山田裕貴さんは在学中の2010年に
「D☆DATE新メンバーオーディション」に挑戦し、ファイナリストに選ばれました。
最終的にメンバーには選ばれませんでしたが、事前投票で1位を獲得し、
急遽設けられた「D-BOYS部門」のグランプリを受賞。
この結果が、彼の俳優人生を大きく動かすきっかけとなりました。
D☆DATEは
当時4名(瀬戸康史さん、荒木宏文さん、中村優一さん、五十嵐隼士さん)のグループで、
グランプリを受賞した堀井新太さんが新メンバーとして加入されました。
2011年に戦隊モノで俳優デビュー
在学中だった2011年には、
スーパー戦隊シリーズ『海賊戦隊ゴーカイジャー』で本格的に俳優デビュー
を果たしました。
ブルー役を担当された山田さんですが、
実は学生時代に、
学園祭の出し物として「戦隊モノの映画」を撮った際にもブルー役を担当していた
のだとか…
配役は、朝登校したら勝手に決められていたそうですが、
なんだか運命を感じるエピソードですよね!
出身高校は「東邦高等学校」
- 東邦高等学校
- 愛知県名古屋市名東区平和が丘3丁目11
- 偏差値:50~62
赤楚衛二(俳優)
奥田瑛二(俳優)
伊武雅刀(俳優)
鬼頭明里(声優)
山田和利(山田裕貴の父、元プロ野球選手)
多くのインタビューや記事で明かされています。
父親である元プロ野球選手・山田和利さんの母校であることや、
在学中にバレーボール部に所属していたエピソードなどが裏付けとなっています。
「プリンス」と呼ばれた高校時代
山田裕貴さんは、高校時代に「プリンス」と呼ばれていたそうです。
入学当初の遠足で、
クラスメートから「プリンスみたいだね」と言われたことがきっかけ
で、そのあだ名が定着したのだとか。
山田さん自身は
と照れくさそうに語っています。
しかし、周囲のイメージと本人の性格とのギャップから、
最終的には「プリン」といじられるようになったそうです。
バレーボール部に所属していた
中学で野球を諦めた山田裕貴さんは「帰宅部になりたい」と考えていましたが、
父親に「帰宅部だけは許さない」と諭され、
友人が所属していたバレーボール部に入部しました。
友人とのカラオケでの熱唱
高校時代、山田裕貴さんは友人とカラオケに行くことが多かったそうです。
特に、同じ名字の「山田氏」と呼ばれる親友と一緒に行くことが多く、
二人でデュエット曲を熱唱していたのだとか。
佐野元春さんの「SOMEDAY」という曲に「その胸にSOMEDAY」という歌詞がありますが
親友の”山田氏”が『SUNDAY』と歌うので、
山田裕貴さんは「それだと日曜日じゃねーか!」とツッコミを入れる…
というのがお決まりだったそうですよ。
当時の楽しい学生生活の一幕が伺えますね。
この思い出は動画でも語っています↓
母校の甲子園出場に涙を流した
山田裕貴さんが高校3年生のとき、母校の東邦高校が甲子園に出場しました。
山田裕貴さんは、試合前に応援席で涙を流したそうです。
これは、
「自分が野球を続けていれば、ここに立っていたかもしれない」という後悔と、
甲子園に立つ選手たちへの尊敬が入り混じった感情によるものだった
といいます。
「自分で自分の人生に蓋をした」と感じた山田さんは、この経験が
という決意につながったそうです。
俳優を志した高校3年生の決意
山田裕貴さんは、受験生になった際、
「やりたいこともないのに、何で大学に行かなきゃいけないんだろう?」
と疑問を抱き、自分の本当にやりたいことを模索していたそうです。
お笑いや歌が好きだったので、その道も考えましたが、
ドラマや映画を見るのが好きだったことから、
と考え、俳優の道を志すようになったのだとか。
この決意が、後のワタナベエンターテインメントカレッジ進学につながりました。
出身中学校は「愛知県名古屋市立若水中学校」
- 愛知県名古屋市立若水中学校
- 愛知県名古屋市千種区若水2丁目6-1
池田貴族(ロック歌手)
松本モトキ(ミュージシャン)
西山史晃(ベーシスト)
馬瓜エブリン(バスケットボール選手、日本代表)
名古屋市立若水中学校に通っていたことは、
山田さん自身のインタビューや特集記事から明らかになっています。
卒業式での第2ボタンの思い出
山田裕貴さんは、中学の卒業式で制服のボタンを友人たちに次々と取られましたが、
第2ボタンだけは好きな人に渡すために守り抜いた
のだそうです。
親切なお友達がその女の子を呼んできてくれたおかげで
無事にその子に第2ボタンを渡すことができ、そのままお付き合いを始めたのだとか…。
山田さんはこのエピソードを「甘酸っぱい思い出」として振り返っています。
素敵な青春時代を過ごしたんですね。
中学時代の苦い思い出と自己成長
山田裕貴さんは、中学3年生の時に野球部を退部し、その後は野球から離れた生活を送っていました。
父親に憧れて野球をはじめたものの、
野球選手の息子である自分はあまり活躍ができていないことに、精神的に追い込まれていた
のだそうです。
しんどいという気持ちから逃げたかったという山田さんは、中学生で大きな挫折を味わいました。
髪を伸ばしたらモテはじめた
野球をしていた頃は坊主だったという山田裕貴さん。
中3の夏に野球を終えて髪を伸ばし始めると、急に女子からモテはじめた
のだとか…!
このことから、「人は見かけなのか…」と学び、
自分は見かけで判断せず、心を見ようと思ったそうです。
出身小学校は「愛知県名古屋市立高見小学校」
- 愛知県名古屋市立高見小学校
- 愛知県名古屋市千種区高見1丁目7-1
この学校は山田さんの実家がある千種区内に位置しており、地域の公立小学校として通学していました。
父親に憧れて小学3年生で野球をはじめた
山田裕貴さんは、プロ野球選手である父親・山田和利さんから
「野球をやれ」と言われたことは一度もなく、
と背中を押されていたそうです。
それでも父に強く憧れて、影響を受けた山田さんは、
小学3年の頃に地元のリトルリーグ「名東千種リトルリーグ」に所属
して、野球を始めました。
山田さんは、多忙なうえ寡黙で厳しい父親に対して
ということすら言えず、さみしい思いもしていたのだとか。
チームでは全国大会にも出場していたことから、
山田裕貴さんは、この時期からプロ野球選手を目指すようになりました。
母親から「宇宙人」と呼ばれた少年時代
小学生時代、山田裕貴さんは恐竜やプラネタリウム、宇宙について深い興味を持っていました。
宇宙の仕組みや宇宙人の存在を考えたり、
星空を眺めながら宿命について想いを巡らせたりしていた
といいます。
その様子から、母親から「宇宙人」と呼ばれることもあったそうです。
山田さん自身も
と当時を振り返っています。
また、山田裕貴さんは、小学生の頃の自身を
と表現しています。
周囲のみんなに笑ってほしくて、すぐに変なことをしてしまう性格だったそうですよ!
まとめ
山田裕貴さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
挫折を経験しながらも努力を重ね、自身の個性や探究心を活かして多彩な表現力を持つ俳優として成長していたことがわかりました。
山田裕貴さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「自慢みたいに聞こえちゃったらよくないんですけど…」