俳優で、シンガーソングライターとしてもご活躍されている松下洸平さん。
この記事では、松下洸平さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
松下洸平のwikiプロフィール

- 本名:松下洸平(まつした こうへい)
- 生年月日:1987年3月6日
- 出身地:東京都八王子市
- 身長:175cm
- 血液型:A型
- 趣味:料理、絵を描くこと
- 特技:ダンス、絵画、歌
松下洸平の学歴(高校・大学)
松下洸平さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学せず音楽の専門学校へ
- 出身高校は「都立片倉高校普通科造形美術コース」
- 出身中学は「八王子市立甲ノ原中学校」
- 出身小学校は「八王子市立秋葉台小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学せず音楽の専門学校へ

- 東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美(現・尚美ミュージックカレッジ専門学校)
- 〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目15−9
松下洸平さんは、音楽の専門学校「東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美」(現・尚美ミュージックカレッジ専門学校)ヴォーカル学科に進学しました。
美大進学から一転、音楽の道へ

松下洸平さんは高校卒業後、当初は美術大学への進学を考えていたそうです。
しかし、映画『天使にラブ・ソングを2』を観たことがきっかけで、
「自分も歌で人を感動させたい」と強く思うようになり、進路を変更。
母親からは一度反対されたものの、最終的には理解を得て、音楽の専門学校へ進学しました。
専門学校時代の“トガり”と後悔

専門学校時代、松下さんはヴォーカル学科で2年間学びました。
自身の楽曲制作やライブ活動に熱中する一方で、当時の担任教師によれば
「僕は卒業公演には出ません」と言い放ち、周囲を驚かせたこともあったそうです。
本人は「“そんなのに出てたまるか”って言ったらしいです。めちゃくちゃ後悔してます」と振り返っています。
若さゆえの反骨心と、今となっては苦笑いするしかない思い出みたいですね^^;
自分のこだわりを貫いた学生時代だったようです。
“ペインティング・シンガーソングライター”としての挑戦

専門学校卒業後、松下さんは自作曲に合わせてライブペインティングを行う“ペインティング・シンガーソングライター”として活動を開始しました。
マイクスタンドの横にキャンバスを置き、歌の合間に絵を描くという独自のパフォーマンスを展開。
「インパクトが大事だと思っていたから、ライブペインティングと音楽を組み合わせた」とご本人も語っています。
しかし「やったはいいものの、成功とは言えなかった」とも振り返り、試行錯誤の時期だったことを明かしています。
シンガーソングライターから俳優への転機

21歳でシンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たしたものの、思うような結果が出ず、音楽活動は一時休止に。
「“来たな”“これは売れるぞ”と夢が広がった」と当時の心境を語りつつも、現実は厳しかったと明かしています。
その後、ミュージカルのオーディションを受けたことをきっかけに俳優の道へ。
「役者になるつもりはなかったけれど、お芝居が楽しいと感じて、そこから10年間舞台に立ち続けた」と語っています。
何度も挫折を味わいながらも、人との縁に救われて歩み続けた日々だったそうです。
出身高校は「都立片倉高校普通科造形美術コース」

- 都立片倉高校 普通科造形美術コース
- 〒192-0914 東京都八王子市片倉町1643
- 偏差値:51
松下さんが専攻した造形美術コースは、美術とデザインを専門的に学ぶコースです。
3年間で5つの専攻に分かれ、より専門的な技術を習得できるのが特徴です。
美術コースでの毎日と人柄

松下さんは美術コースに在籍しており、毎日2~4時間の美術の授業があったそうです。
同級生によれば、入学当初から松下さんは大人気でオーラがあり、
同級生のちょっとした相談にも親身になって応じてくれる優しい人柄だったと証言されています。
ダンス部設立と“モテ伝説”

松下洸平さんは高校入学時、自らダンス部を立ち上げました。
中学時代から続けていたダンスへの情熱を持ち込み、高校1年生の時に友人と2人で活動を開始したそうです。
2年生になると、部活動紹介の場で体育館でパフォーマンスを披露。
その圧倒的な存在感とパフォーマンスに惹かれ、なんと女子生徒70人が一気に入部したという“モテ伝説”が語られています。
ご本人も「自分で言うのは恥ずかしい」と照れながら、「高校でもダンスは続けたいと思っていた」と語っています。
番組MCから「松下さん目当てで入部したのでは?」と突っ込まれると、「次行きましょうか(笑)」と話題を変えようとする場面もあり、当時の人気ぶりがうかがえます。
ダンス部長“1ヶ月でクビ”の真相

ダンス部を立ち上げ、初代部長を務めていた松下さんですが、
実は部長職をわずか1ヶ月で解任されていたことが同級生の証言で明らかになっています。
その理由は「制服を着てこない」「スケボーで校舎をぐるぐるしている」など、自由すぎる行動が教師陣の目に留まり、
「あいつだと誰もついてこないから部長を辞めさせろ」と言われたためだとか。
当時はヒップホップファッションに身を包み、髪も編み込んでいた(コーンロウ)とのこと。
今の落ち着いた姿からは想像できないほど、学生時代はギャップがあったみたいです。
“期待されすぎ”の切ない思い出

ダンス部の活動や人気ぶりから“モテていた”イメージが強い松下さんですが、
ご本人は「サッカーやバスケなどの球技ができる男子がモテる」と語り、
自分にはそうした才能がなかったと振り返っています。
球技大会でバスケットボールを持つと、女子生徒たちが「きっと動けるだろう」と期待して見に来るものの、
実際は全く活躍できず、女子たちが「サーッ」と引いていったというエピソードも披露しています。
期待値だけが上がり、実際には“モテなかった”という切ない思い出もあるようです(笑)。
バラエティー番組では、松下さんの球技音痴ぶりが伺えます↓
@__ooo._.o 洸平くんの弱点です (かわいすぎる) #松下洸平 さん #おすすめ ♬ Gourmet Race (From "Kirby Super Star") – Qumu
出身中学校は「八王子市立甲ノ原中学校」

- 八王子市立甲ノ原中学校
- 〒192-0015 東京都八王子市中野町2639−2
帰宅部で自分の「好き」を追求した中学時代

松下洸平さんの中学時代は、部活動には所属せず、いわゆる「帰宅部」として過ごしていたことが知られています。
多くの同級生が部活に打ち込むなか、松下さんは放課後の時間を自分の興味に費やすことを選びました。
特にこの頃からストリートダンスに強く惹かれ、独学で練習を始めています。
自宅には画家である母親のアトリエがあり、絵画や音楽など芸術的な環境に恵まれていたことも大きな影響を与えました。
放課後は一人で絵を描いたり、音楽を聴きながらダンスを踊る時間が、松下さんにとって自己表現の原点となったのだとか…。
母親との絆とニューヨーク体験

松下洸平さんの中学卒業後、母親とともにニューヨークを訪れた経験があります。
画家だった母親の影響もあり、現地で本場のアートやカルチャーに触れることができたこの旅は、松下さんの感性に大きな刺激を与えました。
インタビューでも「ニューヨークでの経験が、今の自分の表現活動の原点になっている」と語っています。
ダンスにのめり込み“モテ伝説”も

中学時代、松下洸平さんはストリートダンスに夢中になり、独学で技を磨いていきました。
YouTubeのインタビューでも「中学でダンスを始めてからは、どんどんのめり込んでいった」と語っています。
また、ダンスに打ち込む姿が同級生の間でも話題となり、「中学時代はかなりモテていた」とのエピソードも。
なんとファーストキスも中学1年生で経験したのだとか…。
出身小学校は「八王子市立秋葉台小学校」

- 八王子市立秋葉台小学校
- 〒192-0363 東京都八王子市別所2丁目5
秋葉台小学校は地域密着型の温かい公立校です。
自然と遊び心にあふれた小学校時代

松下洸平さんは、自然豊かな環境の中で育ち、木登りや川遊び、鬼ごっこや缶蹴りなど外遊びに夢中な活発な子どもだったそうです。
クリスマスには「ミュータント タートルズ」のおもちゃをサンタさんからもらい、
嬉しさのあまり近所中の家を回って自慢したという微笑ましいエピソードも残っています。
家族旅行で南の島を訪れた際にはイルカウォッチングに感動し、
「イルカウォッチングの人になる」という夢を抱いたこともあったのだとか…。
好奇心旺盛で、日々の出来事を全力で楽しむ少年時代でした。
芸術的な家庭環境と絵への情熱

母親が画家だったことから、松下洸平さんは幼い頃から芸術に親しんでいました。
小学生の頃には絵画教室に通い、自宅でもよく絵を描いていたそうです。
母親のアトリエで油絵を学ぶ機会もあり、芸術的な感性が自然と育まれていきました。
本人も「小さい頃から絵を描くのが好きだった」と語っており、のちに美術系の高校へ進学する原点となりました。
母親からは「好きなことを思いきりやりなさい」と背中を押されていたそうですよ^^
まとめ
松下洸平さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
自由な発想と努力を惜しまない姿勢が、彼の多彩な魅力を育んだのでしょう。
松下洸平さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。