女優としてご活躍されている伊原六花(いはら・りっか)さん。
この記事では、伊原六花さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。

伊原六花のwikiプロフィール

- 本名:林 沙耶(はやし さや)
- 生年月日:1999年6月29日
- 出身地:大阪府大阪狭山市
- 身長:162cm
- 血液型:A型
- 趣味:ダンス、歌、手芸、工作
- 特技:バレエ、ミュージカル、ダンス全般
伊原六花の学歴(高校・大学)
伊原六花さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学していない
- 出身高校は「大阪府立登美丘高校」
- 出身中学は「大阪狭山市立第三中学校」
- 出身小学校は大阪府狭山市内?
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学していない

伊原六花さんは高校卒業後、大学への進学はせず、芸能活動に専念することを選びました。
登美丘高校ダンス部の活動を通じて知名度が高まり、高校在学中に芸能事務所から声がかかったことがきっかけです。
卒業直後の2018年3月31日、「東京ガールズコレクション」に出演し、華々しくランウェイデビューを飾った伊原さん。
同年6月には、ファースト写真集「rikka」を発売し、7月にはドラマ『チア☆ダン』で女優としての活動も本格化します。
「初めてのことばかりで大変でしたが、全部楽しんで飛び込もうという気持ちで臨みました」
と振り返っています。
「自分の夢に正直に、努力を重ねる日々だった」
と語るように、卒業後は一気に環境が変化しながらも前向きに挑戦を続ける日々でした。
新たな夢への挑戦と家族の支え

伊原六花さんは、卒業後の芸能活動について「両親や家族のサポートが支えになっています」と感謝の言葉もたびたび口にしています。
「芸能界で生きていくことは覚悟が要ることだと思っています。だからこそ、応援してくれる人の思いを裏切らないように頑張りたい」
と真剣な表情で語ることも。
「一つ一つの現場で、悩んだり凹むこともあったけれど、すべて自分の糧になっています」
と前向きな姿勢を見せています。
出身高校は「大阪府立登美丘高校」

- 大阪府立登美丘高校
- 〒599-8125 大阪府堺市東区西野51
- 偏差値:57
バブリーダンスで全国的に注目された高校時代

伊原六花さんは大阪府立登美丘高校ダンス部に在籍し、3年生になるとキャプテンを任されていました。
高校2年生の時からダンス部は「バブリーダンス」で一躍有名になり、
荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」に合わせて踊った動画がYouTubeで話題となり、
結果として女性ダンス部員たちがメディアで取り上げられる存在へ。
特に伊原さんはセンターとして出演し、多くの芸能事務所からスカウトを受けたといいます。
厳しい練習と膨大な部員数をまとめる日々は苦労の連続で、
「私がキャプテンの時は部員が100人くらいいてめちゃくちゃ大変でした」
と本人も語っています。
前代の実績により“三連覇を目指す”という重圧の中、
毎日「優勝!優勝!」と心に決めて臨み続けた努力の結晶が、全国大会準優勝や紅白歌合戦への出演などに結びつきました。
部活動で学んだリーダーシップと「やればできる」という実感

部長やキャプテンとしての経験から、伊原さんは「やればできる!」という言葉の重みを実感したそうです。
練習時、全員が同じ目標を目指せるよう意識を揃え、コミュニケーションを怠らなかったと言います。
うまくまとめられない時期もあり、一度はキャプテン交代を経験しましたが、しっかり話し合いを重ねビジョンを共有し直し、最終的に全員が納得して取り組めたエピソードも。
「努力すれば夢は叶うって本当なんだな、と思いました」と振り返っており、
日々の練習や仲間との作品作りを通して、結果以上に大切な仲間との経験や、達成感を味わえたことが大きな糧となっているようです。
ダンス部での挫折と「死ぬほど悔しい思い」

登美丘高校ダンス部時代、伊原さんは「初めて死ぬほど悔しい思い」を経験したと言います。
高校2年の時、オーディションの選考基準はダンスの技術だけでなく練習態度を重視され、伊原さん自身は落選の悔しさを味わいます。
この出来事をきっかけに「普段の行動や努力がどれだけ大事か」を改めて学んだとのこと。
その悔しさをバネに猛練習を重ね、次の大会では見事リベンジを果たしたエピソードも。
伊原さんはこの経験を通じて、「どんな時でも諦めずに努力し続けることの大切さ」を今でも強く感じていると言います。
バブリーダンス成功と芸能界へのきっかけ

バブリーダンスが大ヒットし、YouTubeの再生数が2,400万回を超える社会現象となったことで、
伊原さんは数多くのメディア出演や、紅白歌合戦への出場を果たしました。
本人は「ダメでも飛び乗れー!」という感覚で楽しんでいたそうですが、次第に注目を集め、卒業と同時に芸能界へ飛び込む転機となりました。
「本当に夢の中にいるみたい」という言葉からも、高校生活が伊原さんの人生にとってどれほど大きな意味を持っていたかが伝わってきます。
この躍進には登美丘高校ダンス部での日々の努力があったからこそ…と感じさせますね^^
出身中学校は「大阪狭山市立第三中学校」

- 大阪狭山市立第三中学校
- 〒589-0013 大阪府大阪狭山市茱萸木2丁目397
学級委員経験と思春期の自由奔放さ

伊原六花さんは中学時代、学級委員を務めるなどリーダーシップが光る存在でした。
しかしその一方で、「人と違うことをしたい」との思いから、
自身の髪型をツーブロックにしたり、授業中にかくれんぼをして先生を困らせることもあったのだとか。
恩師や友人も「とにかく元気で独自の感性があった」と語ります。
彼女自身は当時のことを
「やりたいことはやるし、やりたくないことはやらない、思春期ならではの尖った性格だった」
と振り返っています。
恩師との出会いが人生を大きく動かした

中学時代の伊原さんは、校則を破ってスカートを短くしたり、
メイクをして登校した時期もあり、その姿勢が周囲との衝突を生むこともありました。
しかし、中学1年生の時、担任となった体育教師・松川泰拡先生との出会いが、伊原さんの人生を大きく動かしました。
「みんなが納得できるリーダーでいるためには、まずあなた自身が行動で示さなければ」
この言葉をきっかけに、自身の在り方を見つめ直し、態度や服装も改めていったとのこと。
その変化は周囲にも次第に伝わり、クラスメートとの関係性も良好に。
少しずつ周りを見るようにもなったそうです。
「今思い返すと、先生には本当に感謝しています」
校外での活動とダンスへの夢

中学時代、伊原六花さんは部活動には所属せず、放課後はダンススクールに通う日々を送っていました。
家に帰るとすぐレッスンへ向かい、本名・林沙耶としてミュージカルのオーディションにも挑戦していたことは、彼女を語るうえで外せないエピソードです。
熱心に打ち込んだダンスと舞台経験が、高校進学の原動力になったとも語っています。
「登美丘高校ダンス部の動画をYouTubeで見て、”絶対ここに入りたい!”と思った」
と志望理由を明かしながら、学力が足らなかったため猛勉強して合格を勝ち取った努力家な一面も。
学校行事が好きでクラスをまとめるのも得意だった反面、
「当時は反抗期で、良くも悪くも白黒はっきりしていた」
と語る自己分析も印象的です。
出身小学校は大阪府狭山市内?

伊原六花さんの出身小学校は明らかにされていませんが、
出身地などから、大阪府狭山市内の学校に通っていたと推測されています。
小学校から芽生えた表現の世界

伊原六花さんは幼い頃から人前で何かを表現することが大好きでした。
出身地である大阪狭山市で、家族の影響もあり4歳からバレエを始めたそうです。
「姉ができることは自分にもできるはず!」
という負けず嫌いな一面も当時からの性格だったようで、
姉妹とともに様々な習い事に挑戦し、結局一番長く続いたのが自分だけだったとのこと。
ミュージカルとの出会いと夢への第一歩

小学校2年生の頃、友人が出演した舞台に強い衝撃を受けた伊原六花さんは、自らもミュージカルの道へ進みたいと思い立ちます。
コーラス団体や子どもミュージカルのレッスンに通い、本格的に歌やダンスに打ち込むようになったのはこの頃です。
後のインタビューで「小学生のときに舞台を目指し始めたことが、今に繋がっている」と振り返っています。
「人前で表現するのは緊張よりもワクワクの方が大きかった」と語る伊原さん。
舞台や発表会では、衣裳やメイクも楽しみの一部で、「褒めてもらえるのがとても嬉しかった」と振り返る本人の言葉が印象的です。
創作への好奇心と家族との時間

小学校時代は、踊りや歌だけでなく工作や手芸にも熱中していた伊原六花さん。
お祖母さまに編み物を教わりながらマフラーを編んだり、
夏休みには木工でテープ台を作りペイントしたりと、ものづくりへの関心も旺盛でした。
「父と日曜大工に挑戦した思い出」と本人も後年振り返って語っています。
「出来上がった作品を家族に見せるのが楽しみだった」
と語る一方で、人とは違う方法で表現することへのこだわりも既に感じさせます。
まとめ
伊原六花さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
夢と努力にまっすぐ向き合う芯の強さと、仲間思いの優しさが感じられる人柄です。
伊原六花さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。