岸井ゆきののwikiプロフィール

- 本名: 岸井ゆきの(活動名も同一)
- 生年月日: 1992年2月11日
- 出身地: 神奈川県秦野市
- 身長: 150.5cm
- 血液型: AB型
- 趣味: 音楽鑑賞、観劇、お菓子作り
- 特技: ボクシングの動きを模倣すること
岸井ゆきのの学歴(高校・大学)
岸井ゆきのさんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学していない
- 出身高校は「神奈川県立秦野総合高校」
- 出身中学は「秦野市立南が丘中学校」
- 出身小学校は神奈川県秦野市内?
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学していない

高校3年生のときにスカウトされたことをきっかけに芸能界入りを決めた岸井ゆきのさんは、
大学には進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。
一部で『立教大学に通っていた』と噂があるようですが、その事実はありません。
アルバイトに明け暮れた日々

女優業と並行して、飲食店でのアルバイトを続けていた岸井さん。
イタリアンやフレンチ、焼き肉店、寿司屋と、賄い目当てで様々な店を経験したそうです。
ホール業務では客にワインをこぼす失敗をしたことがあり、
「接客は向いていない」と悟り、皿洗い専門に転向したのだとか…
「働いていない自分が嫌い」という理由で、休日もほぼバイトに費やしており、
パズルのようにスケジュールを組み立て、あのころの私は四六時中働いていた。
引用:婦人公論.jp
と振り返っています。
今でもアルバイトを続けている

着実に仕事の幅をひろげいていった岸井ゆきのさんは、
2017年後悔の初主演映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』で、
第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。
翌年には、NHK連続テレビ小説『まんぷく』に出演するなど人気女優となりますが
2019年頃までは寿司屋でのアルバイトを続けていたのだとか…!
2021年のインタビューでも、
と話しています。
遅いスタートを逆手に取った姿勢

高校3年生という遅いデビューにも関わらず、焦りを見せなかった岸井さん。
と当時を振り返っています。
周囲と比較せず、「役は鏡だと思って演じる」という独自の演技論もこの時期に培われたようです。
出身高校は「神奈川県立秦野総合高校」

- 神奈川県立秦野総合高校
- 〒257-0013 神奈川県秦野市南が丘1丁目4−1
- 偏差値:41
自然豊かな環境で育った「ふつう」の学生生活

神奈川県秦野市の自然に囲まれた環境で高校生活を送った岸井さん。
高校では部活動に所属せず、帰宅部として過ごしていました。
とインタビューで語っています。
校則が厳しかったという秦野総合高校ですが、運動部が盛んで、卒業生にはプロスポーツ選手も。
そんな環境の中、岸井さんは「自分らしさ」を見つける旅を続けていました。
高校3年生のとき山手線でスカウトされた

高校時代の岸井ゆきのさんは、将来の進路に悩んでいました。
専門学校の体験入学を繰り返し、調理師やバリスタの道も考えていたそうです。
「衣食住に関わる仕事がいいな」と思いながらも、明確な目標は見えず。
そんな中、高校3年生の時に東京で声をかけられたのが芸能界入りのきっかけでした。
山手線の車内でカメラマンに
「被写体として撮りたい」
と誘われたことが縁で、現在の事務所を紹介されたそうです。
当時は専門学校への体験入学を繰り返すなど進路に迷っていた岸井さんでしたが、
と振り返っています。

岸井さんは、2009年のドラマ『小公女セイラ』で女優デビューを果たし、
端役ながらも演技の面白さに目覚めた瞬間だったようです。
出身中学校は「秦野市立南が丘中学校」

- 秦野市立南が丘中学校
- 〒257-0013 神奈川県秦野市南が丘1丁目6
秦野市立南が丘中学校の校舎は緑に囲まれた環境で、現地域密着型の公立校です。
岸井ゆきのさんの2学年下にHey! Say! JUMPの山田涼介さんがいました。
体操選手を夢見た9年間

岸井ゆきのさんは小学1年生から中学3年生まで、器械体操に取り組んでいました。
「身長が低いほうが体操選手には有利で、練習も楽しかった」
と当時を振り返り、地元大会で優勝経験もある実力派でした。
しかし中学3年生の練習中、
バク転に失敗したことがきっかけで恐怖心が芽生え、飛べなくなってしまったのだとか。
「受験もあったので体操はやめてしまった」と語り、9年間続けた夢に幕を下ろしました。
この決断について
と後悔はない様子ですが、その後は進路に悩む日々が続きます。
出身小学校は神奈川県秦野市内?

岸井ゆきのさんの出身小学校は公表されていませんが、出身地の秦野市内であると考えられます。
自然の中で育ったインドア派な少女

神奈川県秦野市の自然豊かな環境で育った岸井さん。
山や川に囲まれた団地で過ごし、木登りをして遊ぶこともありました。
しかしある日、木から落ちて背中を強打し、過呼吸になった経験も。
意外にも「外で遊ぶよりインドア派」と語り、
液体のりを道具箱に塗って乾かしてはがす遊びに夢中になっていたそうです。
岸井さんは当時の自分を
と振り返りつつ、兄とはよくケンカする活発な一面もあったのだとか。
小学校1年生で器械体操を始めた

岸井ゆきのさんは小学校1年生から器械体操を始め、将来は選手になることを夢見ていました。
バク転や宙返りも得意で、「クルクル回っていました」と当時を振り返っています。
「ふつうの小学生」だった岸井さんですが、器械体操への情熱は並々ならぬものがありました。
この頃の夢は体操選手になることで、他のことはあまり考えていなかったのだとか。
まとめ
岸井ゆきのさんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
地道な努力を厭わない真面目さと、失敗を恐れないチャレンジ精神が培われた学生時代であったことがわかりました!
岸井ゆきのさんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。

「今でも籍は抜いておらず、おせち作りだけは参加している」