志尊淳のwikiプロフィール

- 本名:志尊淳(しそん・じゅん)
- 生年月日:1995年3月5日
- 出身地:東京都
- 身長:178cm
- 血液型:A型
- 趣味:映画鑑賞、買い物、食べ歩き、スポーツ全般、ドライブ
- 特技:野球、サッカー、剣道、総合格闘技、水泳
志尊淳さんは本名で活動しています。
「志」が「尊い」という珍しい苗字に対して、
と語っています。
志尊淳の学歴(高校・大学)
志尊淳さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学していない
- 出身高校は「日出高校」
- 出身中学は「聖学院中学校」
- 出身小学校は「足立区立栗島小学校」?
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学していない

志尊淳さんは大学に進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。
本人はインタビューで
と明かしており、高校時代から芸能活動に強い意欲を持っていたことがわかります。
「やるからにはしっかりやりなさい」
という家族の後押しもあり、養成所でのレッスンに没頭。
わずか3か月で審査会1位を獲得するなど、早くから才能を発揮しました。
18歳で戦隊シリーズの主演に抜擢!

志尊淳さんが『烈車戦隊トッキュウジャー』の主演・ライト役に決まった際、
本人は「まさか自分が戦隊ヒーローに選ばれるとは」と驚きを隠せなかったようです。
オーディションでは「笑顔と元気さ」が評価され、約2000人の候補者から抜擢されました。
特に「子どもから大人まで愛されるキャラクター像」が制作陣の目に留まったのだとか…
志尊さん役作りのため、過去のスーパー戦隊シリーズを猛勉強したそうです。
共演者とはプライベートでも交流が続き、10周年を迎えた2024年には
と語っています。
出身高校は「日出高校」

- 日出高等学校(現在の目黒日本大学高等学校)
- 東京都目黒区目黒1-6-15
- 偏差値:42
日出高校は芸能クラスがある学校で、多くの芸能人が卒業しています。
志尊淳さんは、元AKB48の川栄李奈さんと同級生だったことがわかっています。
聖学院高校を中退して日出に編入した
志尊淳さんはもともと聖学院高校に在籍していました。

- 聖学院高校
- 〒114-0015 東京都北区中里3丁目12−1
- 偏差値:47~63
聖学院高校在学中だった高校2年生から芸能活動を開始した志尊淳さん。
朝はスーパーのレジバイト、放課後は稽古場通いという過酷なスケジュールをこなしていたそうです。
と本人が語るように、次第に学業との両立が困難に。
そのため、高校3年時に中退。
その後、通信制の日出高等学校に編入し、2014年に卒業しています。
「高校生活を満喫できなかった」
と述懐する一方で、その経験が現在の演技力の礎になったようです。
球技大会でMVPを獲得した

志尊淳は高校3年生の時に、クラス対抗バスケットボール大会で優勝しMVPを受賞しています。
クラス全員で団結して優勝を目指し、熱のこもったプレーを見せたようです。
過去のインタビューでは
「僕自身も『勝つ!』という強い気持ちを押し出して全力でプレーしました」
引用元:高校生新聞ONLINE
と優勝時の達成感を語っています。
大会後はクラスメイトとともに喜びを分かち合い、学生時代の貴重な思い出となったのだそうですよ^^
1年間の家出と自立への決意

志尊淳さんは17歳の時、家族に無断で家出し、1年間連絡を絶ったエピソードが。
住民票まで自分で移すほど徹底しており、「自立することを意識した」と当時を振り返っています。
芸能活動で本名を使用していたため家族に迷惑をかけていたことから、
「そう簡単に帰れない」と自らにプレッシャーをかけたのだとか…
シングルマザーの母は、3兄弟の末っ子である志尊さんが
突然いなくなってしまったことを深く悲しんでいたそうです。
1年に再会した際には、兄からは殴られ、
姉からは「二度と帰ってくるな!」と怒られてしまったといいます。
志尊さんは
と語っており、俳優として成功を収めた今でも、家族への感謝を忘れていないようです。
現在は
と語るほど、家族思いの一面も持っています。
出身中学校は「聖学院中学校」

- 聖学院中学校
- 〒114-0015 東京都北区中里3丁目12−1
- 偏差値:47~63
中高一貫教育を提供する私立の男子校です。
野球部引退後、過酷なダイエットで18キロ減!

中学時代は野球部に所属しており、4番でキャッチャーを務めていた志尊淳さん。
当時は体重73kgのぽっちゃり体型でした。
中3の夏の大会で敗退し引退した後、
受験がない中高一貫校だったため「何かしよう」と思い立った志尊さんは、
「なにかがきっかけで2kg痩せたので、もっと頑張ろうと思ったんです」
と、ダイエットに挑戦しました。
すると、極端な食事制限(ゼロカロリー飲料やところてんのみ)とランニングで、
わずか2か月で18kgの減量に成功しています…!
しかし、あまりのストイックさに、体調を崩し入院してしまったのだとか…
その努力家ぶりが伺えるエピソードですね。
モテモテの中学時代

中学時代から人気者だった志尊淳さん。
ダイエット後は別人のように見た目が変わり、女子が急に優しくなったのだそうです(笑)
当時は「友チョコを含めて40個」という驚異的なバレンタインチョコ獲得エピソードを明かしています。
多数の事務所からスカウトされていた

高校2年生から芸能活動を始めた志尊淳さんですが、
実は、中学3年生の頃からたびたびスカウトをされるようになっていたそうです。
最初はまったく興味がなかったといいますが、
スカウトマンの名刺が10枚、20枚と増えていくほど、
と考えるようになりました。
出身小学校は「足立区立栗島小学校」?

- 足立区立栗島小学校
- 〒121-0012 東京都足立区青井6丁目13−10
志尊淳さんの出身小学校は公表されていませんが、足立区にある同校だと推測されています。
わんぱくすぎる少年時代

志尊淳さんは「雨の日も風の日も外で遊ぶ」ほどの活発な子ども時代を過ごしていました。
と語るほど、とにかく外遊びが好きだったようです。
特に小学校低学年時は手が付けられないやんちゃぶりで、母親がほぼ毎日学校に呼び出されるほどだったのだとか。
あるインタビューでは
と語っています。
両親の離婚で反骨精神が芽生えた

志尊淳さんが小学生の頃、両親が離婚しています。
そのためか、次第に反骨精神が強くなっていった時期でもあるようです。
「徹子の部屋」では
と当時を振り返り、それがいたずらや問題行動につながった面もあったといいます。
しかし
「先生が目を見て本気で叱ってくれた」ことで次第に落ち着いていき、後の成長につながったと語っています。
小学生ながらに複雑な家庭環境と向き合っていた少年時代だったのかもしれません…
剣道と野球に打ち込んだスポーツ少年

父親の勧めで小学校2年から剣道を始め、わずか2年で区大会優勝を果たしています。
「金メダルを取ったら野球をやらせてくれる」
という父親との約束を果たすため、必死に練習したようです。
約束通り優勝後は野球に転向し、キャッチャーとして活躍。
「東京ドームで観戦したジャイアンツ戦がきっかけで、プロ野球選手を夢見るように」
と語るほど熱中しました。
水泳やサッカーも経験するなど、まさにスポーツ万能少年だったようです…!
初恋は保育園の先生だった

志尊淳さんの初恋の相手は、保育園の先生だったそうです。
「保育園の先生と映画デートに行ってほっぺにチューした」
というエピソードを明かすなど、幼少期から人懐っこい性格が窺えます。
本人は
と笑いながら振り返っています。
まとめ
志尊淳さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
スポーツで培った忍耐力と家族への感謝が、現在の真面目で芯の強い性格を形作っていたことがわかりました!
志尊淳さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。

そんな名字を背負って、いい加減には生きられない