SnowManのメンバーで俳優としてもご活躍されている目黒蓮さん。
この記事では、目黒蓮さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
目黒蓮のwikiプロフィール
本名:目黒蓮 (めぐろ・れん)
生年月日:1997年2月16日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:184cm
愛称:めめ
目黒蓮の学歴(高校・大学)
目黒蓮さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 出身大学:城西国際大学メディア学部
- 出身高校:日出高校(現在の目黒日本大学高校)
- 出身中学校:大田区立大森第四中学校
- 出身小学校:大田区立池上小学校
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
出身大学は「城西国際大学・メディア学部」
- 城西国際大学・メディア学部(千葉東金キャンパス)
- 〒283-0002 千葉県東金市求名1
- 偏差値:46~53
城西国際大学のメディア学部では、
・映像・演出
・映像技術
・映像美術
・アニメーション・CG
・芸能
・ステージ
・サウンド・音楽
・エンタテインメント・ビジネス
といった分野を学ぶことが出来ます。
同じくSnow Manの佐久間大介さんも、城西国際大学の卒業生です。
芸能活動と学業の両立で多忙を極めた
目黒蓮さんの大学時代は、まさに
芸能活動と学業の両立に奮闘した時期
でした。
忙しいスケジュールの合間を縫って大学に通い、勉学にも励んでいたそうです。
特に、
英語が苦手だった目黒さんにとって、大学卒業は大きな目標
でした。
しかし、同じグループのメンバーである阿部亮平さんのサポートのおかげで、
無事に卒業することができました。
阿部さんは、
目黒さんの英語の課題を手伝ったり、卒論のアドバイスをしたりする
など、親身になって支えてくれたそうです。
「宇宙Six」のメンバーとして活動
また、目黒さんは大学在学中に
「宇宙Six」というユニットに所属
して、舞台やコンサートで活躍していました。
特に、
「滝沢歌舞伎」への出演は、彼の成長を大きく促す経験
となりました。
ジャニーズJr.の谷村龍一さんの怪我による急遽の代役という困難な状況にも関わらず、
目黒さんはすべてのセリフをたった一晩で覚え、見事に舞台を務め上げました。
この経験を通じて、目黒さんは周囲からの信頼を勝ち取り、
「困った時の目黒くん」と呼ばれるほどの存在になりました。
「Snow Man」へ電撃加入!
そして、大学卒業間際には
「Snow Man」への電撃加入
が発表されました。
同じタイミングで向井康二さんとラウールさんも新メンバーとして加入し
Snow Manは9人体制で活動することになりました。
これは、目黒さんにとって大きな転機となりましたが、
同時に「宇宙Six」のメンバーへの複雑な思いも抱えていました。
しかし、
「宇宙Six」のメンバーたちは目黒さんの決断を温かく受け入れ、励ましてくれた
のだそうです。
このように、目黒さんの大学時代は、多くの挑戦と成長に満ちた日々でした。
忙しい日々の中でも、彼は周囲の人々への感謝の気持ちを忘れず、
常に前向きに努力を続けました。
そして、
その努力が実を結び、彼は現在、多くの人々に愛される人気アイドルへと成長
したのです。
彼の大学時代のエピソードは、私たちに夢を追いかけることの大切さや、
周囲の人々への感謝の気持ちを思い出させてくれます。
出身高校は「日出高校」
- 日出高校(現在の目黒日本大学高校)
- 〒153-0063 東京都目黒区目黒1丁目6−15
- 偏差値:48(芸能コース)
高校時代、目黒さんは芸能活動を行いながら学業にも励んでいました。
芸能コースのある日出高校に進学し、仕事で欠席が多くなっても
レポート提出などで単位を取得できるような柔軟な環境で学んでいた
ようです。
「ジャPAニーズHi!School」で活動
中学時代に引き続き「ジャPAニーズHi!School」というユニットに所属し、
先輩グループのバックダンサーとして活動
していました。
このユニットは、後にKing & PrinceやSexy Zoneのメンバーとなる人も所属する
総勢70名以上の大型ユニットでした。
苦悩や葛藤を抱えていた
目黒蓮さんの高校時代は、必ずしも順風満帆ではありませんでした。
他の同期メンバーが早くから活躍する中、目黒蓮さんはなかなか日の目を見ることができず、
デビューできるか不安で
と思うことも何度もあったそうです。
仕事やレッスンに行きたくないけれど、行かなければいけないという憂鬱な気持ちで電車に乗っていた時に、
SMAPの「この瞬間、きっと夢じゃない」を聴いて自分を奮い立たせていた
というエピソードがあります。
この曲が無ければ心が折れていたと振り返っています。
また、Kis-My-Ft2のMVに出演できる機会があった際、
という言葉をたまたま聞いてしまい、深く傷ついたこともありました。
家に帰って泣きながら両親に「もう辞める」と伝えたところ、
両親は引き留めることなく
と言ってくれたそうです。
しかし、
その言葉によって逆に冷静さを取り戻し、
「もう少しやってみよう」と踏みとどまった
のだそうです。
これらの経験から、目黒蓮さんが当時抱えていた苦悩や葛藤、
そしてそれを乗り越える強さを読み取ることができます。
彼のひたむきな努力と、家族や音楽からの支えがあったからこそ、今の活躍があると言えるでしょう。
高校3年生で俳優デビュー
目黒蓮さんは、高校3年生だった2015年1月に放送された
ドラマ「お兄ちゃん、ガチャ」で俳優デビュー
を果たしました。
このドラマは、元King & Prince・岸優太さんが主演を務めた作品で、
目黒さんは「少年E」という役を演じました。
当時、目黒さんはまだ「宇宙Six」にも所属しておらず、俳優としてのキャリアも始まったばかりでした。
しかし、
このドラマ出演をきっかけに、彼の演技力と存在感が徐々に注目を集める
ようになりました。
高校卒業前に俳優デビューを果たした目黒さんは、その後もドラマや映画に出演を重ね、
現在では俳優としても高い評価を得ています。
彼の演技に対する真摯な姿勢とたゆまぬ努力が、現在の活躍に繋がっていると言えるでしょう。
ちょいワルに憧れていた
目黒さんは高校時代、
少し悪っぽい雰囲気に憧れた時期があった
そうです。
しかし、真面目な性格のため、その雰囲気にはなれなかったのだとか…。
高校時代もリーダーシップを発揮し、友人たちと良好な関係を築いていた目黒さんは、
特に、
当時ジャニーズJr.だった田中誠治さんと仲が良かった
そうです。
目黒蓮さんの高校時代は、芸能活動と学業の両立というチャレンジの中で、様々な経験を通して成長し、
現在の活躍の基礎を築いた時期であったと言えるでしょう。
出身中学校は「大森第四中学校」
- 大田区立大森第四中学校
- 〒146-0082 東京都大田区池上1丁目15−1
都大会3位のサッカー少年だった
目黒蓮さんは、中学時代からすでに注目を集める存在でした。
彼の出身中学校は東京都大田区立大森第四中学校で、
そこでは
サッカー部に所属せず、クラブチームで活躍
していました。
フォワードとしての実力は高く、東京都大会で3位入賞を果たすほどでした。
非公式ファンクラブが作られていた
目黒さんの魅力はスポーツだけにとどまりません。
中学校時代には、なんと
非公式ファンクラブが存在するほどの人気ぶり
でした。
しかし、その人気ゆえに、彼は
上級生から嫉妬され呼び出される
という経験もしました。
幸いにも、父親が間に入ったことで事態は丸く収まりました。
中学2年生でジャニーズに入所
目黒蓮さんがジャニーズ事務所に入所したのは、中学2年生の頃でした。
きっかけは、
いとこのお姉さんが履歴書を送った
ことでした。
オーディション当日には、共働きの両親に代わり、祖母が付き添ってくれたそうです。
同じオーディションには、
後にSexy Zoneとなる佐藤勝利さん、
King & Princeとなる神宮寺勇太さん、岩橋玄樹さん、
Travis Japanの宮近海斗さん、中村海人さん、松倉海斗さん、
そして宇宙Sixの原嘉孝さん
などが参加していました。
同期の中でも、佐藤勝利さんをはじめとするメンバーは早くから活躍し始め、
ユニットに抜擢されるなど、事務所からの期待の高さが伺えました。
このように目黒さんの学生生活は、
サッカーでの活躍とジャニーズ事務所での活動という二つの大きな柱を中心に展開していました。
出身小学校は「大田区立池上小学校」
- 大田区立池上小学校
- 〒146-0082 東京都大田区池上1丁目33−8
サッカー選手を目指していた
目黒蓮さんの小学生時代は、
活発で運動神経が良く、クラスの人気者
だったようです。
特にサッカーに夢中になり、
プロのサッカー選手を目指していた時期もあった
とのこと。
ご両親が共働きの家庭で育ち、
休日には、おばあちゃんが作ってくれたチャーハンやナポリタンを食べて過ごした
そうです。
また、勉強にも熱心に取り組み、学校のイベントにも積極的に参加するなど、
活発で好奇心旺盛な少年時代を過ごしていたことが伺えます。
まとめ
目黒蓮さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
小学生からサッカーを始めて、プロを目指していた目黒さんでしたが
中学生のときに事務所へ入所し芸能活動を始めました。
同期が活躍していく中で、なかなか苦しい時期も経験したようですが
その経験も現在の飛躍に繋がっていることがわかりました。
目黒蓮さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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